ハンブルネスのひとりごと

ノルウェー在住のシステミックカウンセラーのブログです

❤結婚10周年❤ その1.2011年7月のこと…

みなさまこんばんは。引き続きお変わりありませんか?

こちら、北欧ノルウェーの首都圏では コロナ政策の緩和が進み、本当にマスク姿の人も減ってきました。ただ、政府はデルタ株の影響もあり、最終段階の緩和にはまだ踏み切っていません。ヨーロッパの取り決めで、国々が感染状況により色分けされ、「グリーン」の国にはワクチンなしで旅行でき、帰国時にも自宅待機無しということで、たくさんの方々がバカンスに出かけた…とか。ただ、旅行中にその国が「レッド」になった場合は自宅待機は免除にはならないので、まるで「ギャンブル」ようです。

さて、今日のブログは結婚10周年を記念してちょっと書いてみたいと思っています。いわゆる、パーソナルブログですね。10年前の7月ってとっても特別だったこともあり、この時のことを振り返ってみたいと思います。

 

手作り結婚式 ー 私たちの選択

さて、こちらは自分たちで結婚式の企画や手配をするのはいたって普通となっています。多くの方が教会*1に所属していますが、式は新婦の教会で挙げるのが伝統と言っても過言ではありません。首都オスロや他の主要都市では教会に属していないかたも多く、その場合は市庁舎などで行います。と、いうのも、日本と違い「籍を入れる」というのがないので、結婚式には承認となる方(教会の場合は立ち合いの牧師、役所の場合は役所の職員)に結婚証明書を出してもらう必要があるのです。

さて、私たちの選択は、式は当時私が数年間ボランティアをしていたオスロ中心部にある「Trefoldighetskirken」で。その後の披露宴は夫の出身地、Nesodden(ネーソーデン)にある、彼の母教会で。式の方も、牧師は選べなかったのですが、オルガニストに演奏をお願いする曲や、式次第などは自分たちで用意。このデザインも私が自分でやったのですが、今思えばちょっとお葬式っぽいお花を選んでしまったかなあ…と。

 

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Trefoldighetskriken (英語でTrinity Church) - kirken.no より

披露宴は 第一部が家族や親せきのみ参加のちょっと硬めの食事会で、第二部がお友達なども加わったもっと砕けた感じのカフェタイム、というのを企画。食事は自分たちでケータリングサービスを頼み、ウェディングケーキは義母が義姉と一緒に手作りで。他にも知人などにカフェタイム用に手作りケーキをお願いしました。会場の飾りつけも家族や友人に手伝ってもらいながらすべて自分たちでやりました。やはりいろいろ決めることや、手配などでかなり忙しくなり 結婚式の舞台となった教会の飾りつけまでは全く手が回らず、友人が急きょお花を買ってきた…という具合。

そして、式の数日前には私の兄がまず到着。彼は亡き父の代行ということで来てくれたのですが、母と叔父夫婦と別便で来たこともあり、空港までも数往復しなければならず、バタバタと忙しくなっていました。式前日も会場準備や西ノルウェーから来た友人(仲人役)らと打ち合わせを兼ねた食事会などもこなし、本当に目が回るような数日間となりました。

 

結婚式当日…起こってはならないハプニングが!

式当日。朝から実家から来た兄や母の世話でとても忙しく、自分の着替えなどは本当に最後の最後。そして、気が付くと…あれ?お迎えに来る人からの電話がない。お迎えの人は夫の弟の友人。自分のアメ車を出してくれたのですが、夫がメールで説明しておいたスケジュールを全く確認していなかったことが後から判明。私が夫に電話をして、彼に連絡がつくと、なんとマンションの外でずっと待っていたというではないですか。(そしてちょうどうちの窓から見えにくい位置にいた!)式が始まる…25分、いや20分くらい前のことです。教会があるオスロ中心部まで、ギリギリもいいところです。しかも、彼はこの事態(式に遅れる)が分かっておらず、焦っている私に「あのー、どうやって行くんだっけ?」の始末…。ここで、新婦ですが、ぶっちぎれる私。ただ、運転手に切れてもしょうがないので、夫に電話で切れていました。この時、夫はかなりおろおろ。今思えばかわいそうだったな。教会に着いたら一息入れる間もなく(式がもう一つこの後あって、かなり押していたため)顔がまだ引きつっていた私ですが、やむなくバージン・ロードへ。実は式のあいだずっとこの怒りとストレスのせいで体がぶるぶる震えていたのですが、幸いにも参列されていた方々は「かわいそうに、緊張してるんだ」と、思ったらしいです。

式が終わった後も、一生懸命「笑わなきゃ、スマイルしなきゃ」と、自分に言い聞かせていたものの、体は思うように動きませんでした…。そんなこんなで、披露宴でもずっとこわばりっぱなし。やっと気持ちが落ち着いたのが披露宴も終盤に差し掛かった頃でしょうか。やっと余裕ができて、いつもの私に戻っていたと思います。

 

式の翌日から7月22日まで

式の翌日には西ノルウェーから来てくれた友人たち、日本からの家族などを一日オスロ中心部観光へ。またその次の日は一足早く帰国する兄を空港に送りつつ、他の日本からのゲストと一緒に山小屋へ小旅行。夫の両親が私たちを迎えてくれました。ここで数日滞在した後、ベルゲンへ向かう母と叔父たちをまた空港まで。彼らは数日 自分たちでフィヨルド観光したあと、私たちとスタバンガーで合流するという計画でした。ここで昔からお世話になっているMご一家のお宅で数泊させてもらった後、彼らはスタバンガーの空港から日本へ帰っていきました。

そして、夫と私も そこから車で寄り道しながらうちに戻ります。やっと二人きりになり、新婚旅行気分になりました。うちに帰る前日は、先日ブログでご紹介したダーレンのホテルで一息入れた後、同じテレマルクで開かれていた、大きなクリスチャンの集会*2に参加して、そこで西ノルウェーからの友人たちとも再会の予定でした。その前に民宿にチェックインすると、TVではオスロで政府の建物が爆発されたというニュースが。続いて数時間後にはオスロから北に行ったある島での銃撃事件のニュースも入ってきました。その場にいた人たちもちょっと騒然としていて、夫も家族と連絡を取り、無事を伝えたり、私も職場の同僚に連絡したりしていました。

その後、詳細がわからずに先述の集会へ。やはり、ここにいた人たちも不安でいっぱいな雰囲気でした。そうです、これが後に「22.Juli」(ヒューエアンドレ・ユーリと読みます。)と呼ばれるようになった単独テロ事件*3です。

 

式がまずくても夫婦関係は立ち行く…

私はもともと結婚式などをあまり夢見る女子ではなく、ウェディングドレスなども「ウン十万も使うのがもったいない」と考えていた方。もしパーフェクトな結婚式を望んでいたタイプだったら、式でのハプニングから立ち直れなかったかもしれません。でも、自分の感情をコントロールできずに夫にも嫌な思いをさせてしまったことや、嬉しい・ハッピーな気持ちで満たされるはずの結婚式がこんな思い出ばかりになってしまったことも、悲しくて本当に残念でした。

でも、考えてみたら結婚式は一つの節目の日と言うこと以外、他の日と重要性はあまり変わらない気がします。そういう意味でも、こういう特別な日にこのようなハプニングが起こってしまっても、人生を長い目でみたら「あまりたいしたことない」と言えるかもしれませんね…。

 

思えば、この2011年7月は、本当に怒涛のような日々の連続でした。自分たちの結婚式もありましたが、ノルウェー社会が悲しみに包まれ、大きく揺れた月でした。式を挙げた教会も爆破を受けた建物から実は目と鼻の先だったため、ステンドグラスなどにも爆破の衝撃で多大な被害が出ました。式の日程があと2週間ほど遅かったら完全にアウトになっていたところでした。人生本当に何があるかわかりません。

 

さて、こんな風にスタートを切った私たちの結婚生活ですが、もう少し次の機会にシェアさせていただきたいな、と思っています。今日もここまでお読みくださり、ありがとうございました!

では、みなさまも引き続きご自愛くださいね。

*1:ノルウェー国教会。プロテスタントの一派、ルーテル派なので、幼児洗礼があり、この時に教会メンバーとなります。

*2:Korsvei という団体の集会で、Seljordで開かれていました。

*3:

ノルウェー連続テロ事件 - Wikipedia