ハンブルネスのひとりごと

ノルウェー在住のシステミックカウンセラーのブログです

(長い休暇を終えて…)ノルウェーの休暇のお話し

こんばんは。ご無沙汰しております。お元気ですか?

1月は4週間の里帰りで、親戚を訪ねたり 実家のもろもろのことで やはり忙しくなってしまい、ブログはお休みしていました。1週間ほど前にこちらに戻り、今やっと時差ボケも取れてきたかな…といった感じです。

さて、今日のトピックですが…「ノルウェーでの労働者の休暇」について書きたいと思います。こちらで就職してから日本に里帰りした際に「こんなに休んで大丈夫なの?」と家族や友人からよく聞かれていました。休暇の長さはいろいろでしたが、里帰りには大体いつも3週間から長くて4週間休みを取ります。私は公の機関で2001年からフルで仕事をしていて、主人は民間の会社で30年以上勤めていますが、二人ともこれまで休暇が取れない、などのトラブルはありませんでした。

 

休暇についての独自の法律 Ferieloven

欧米では一般的に休暇を良く取ることが知られていますよね。日本に住んでいた時も、外資系に努める友人の話を聞いて「へー」と思ったものでした。他の国も似ているかもしれないのですが、ノルウェーは休暇についての独自の法律があります。(Ferieloven, 今の法律は1988に制定されました)この法の目的は、被雇用者の休暇と「休暇マネー」を 保護するというもの。休暇マネーとは、前年の収入の約10パーセントを雇用主からいただける収入です。私のように毎月の給与が固定されている人は6月の給与の代わりに休暇マネーが支給されますが、夫のように時間給があり、給与が労働時間により支給の人は月給プラス休暇マネーが支給されます。ただし、後者は休暇をとることで労働時間が減るわけですから、休暇後の給与はおのずと低くなります。通常、こちらはボーナスがないので、休暇マネーの月はいつもよりも支給額が高くなり、ちょっと嬉しい月でもあります。ちなみに、転職をしても前雇用主からちゃんと休暇マネーが支払われる仕組みになっています。

この休暇法では雇用主は年間25就業日の休暇を労働者に取らせるようにしなければならない、とあり、労働者もまた年の間に休暇を消化しなければならない、とあります。私の場合は、25就業日を消化しないで、よく次の年に繰り越したりしています。

 

休暇法だけではなく…カルチャーの問題でもある?

私の勤めるオスロ市ですが、大多数が休暇を取る6月―8月の夏の3か月は連続休暇はマックス3週間までという規定があります。それから いくら休暇を取る権利があっても、やはり雇用主と同意の上で 休暇の時期や長さも決めなければなりません。

特に7月は "Joint holiday"、多くの人が一斉に休暇に入る月でもあり、ノルウェー全体が(さらに)スローペースになります。クローズする事務所もありますし、あちらこちらで「低キャパシティー」状態となります。医療機関などはさすがに、代行の医者や職員を雇うのですが、私のこれまで務めてきた職場などでは 人手不足となるため、あの手この手で 休暇時期を乗り越える対策をしています。

ユーザー、お客さんの立場とすれば、ことが運ばないのでイライラもしますが、最終的には「仕方ないなー、休暇の時期だもんなー」という感じで、あきらめムードでしょうか。それから、自分だって休暇を取るのだから、「お互い様」的な感じもあるかもしれません。

 

休むことの意味

日本と比べると、というか、比べてはいけないくらい 労働者の権利がいろいろ保護されているノルウェーではありますが、その代償はやはり 社会が潤滑に回っていかなかったり、効率的・効果的なことがあまり期待できないことではないでしょうか? それは、日本からいらっしゃる方々からよく聞くことでもあります。

本当は「いいとこどり」な、ほどよいバランスの社会がいいのかもしれませんが、私個人的にはノルウェーに残りたかった理由の一つはやはり このスローペース、または「誰にでもついていけるペース」の社会構造かなあ、と思うのです。つまり、「人間、仕事ばっかりじゃなく、休まないとだめだよ。」という思想でしょうか。そこには、日本とはちょっと違った人間観があったり(たとえば、弱者や障害を持った人々に対するもの)、私のような外国人でもあからさまに虐げられずに生活できる社会環境があります。

休暇が保証されていること。実家の母が高齢者となった今、本当に 私にとってはありがたい、必要不可欠なこととなっています。

 

日本でお正月

明けましておめでとうございます!みなさまは昨日の大晦日、今日の元旦はどんな風に過ごされましたか?

私は、というと12月26日から主人と日本に里帰りしています。前回から約9か月ぶりの日本。年末年始の日本は3年ぶりとなります。去年のお正月は普通にノルウェーで過ごし、「やっぱりお正月は日本がいいなあ…」とつぶやいていたので今年はこちらで新年を迎えられて とっても嬉しかったです。日本のお正月の何がいいかというと、やっぱり家族と過ごす大晦日や街の雰囲気でしょうか。昨日は家族と静かに夕飯を食べ、TVでカウントダウンを見ていました。

 

今年の国王・首相のスピーチ 

クリスマスがメインのノルウェーは、元旦は祝日になっていますが その後2日からは通常通りに戻ってしまい、非常にあっさりしています。大晦日もカウントダウンのイベントやTV番組も特になく、ちょっと寂しい感じです。(お隣のスウェーデンでは毎年遊園地でカウントダウンしているのですが…)

それでも毎年伝統になっているのが、大晦日の国王のスピーチと元旦の首相のスピーチです。今年のクリスマスにはマッタ・ルイーズ王女の元夫、アーリー・ベーン氏が自ら命を絶つという 非常に悲しく、センセーショナルな出来事があり、メディアによると国王・首相の両スピーチとも書きかえられたと言います。私たちも国王がどんなスピーチをするか、ちょっと興味深々でした。ノルウェー王室はかなりオープン・庶民化しており、皇太子のシングル・マザーとの結婚なども世界的に話題になったと思います。国王はスピーチの冒頭で、やはり彼の死のことを自分の身内に起こったこととして、かなりパーソナルな感じで話していました。離婚した義理の息子とはいえ、孫たちのお父さんだったベーン氏なので、祖父として孫たちの心のケアのこともちょっと話していました。前回の私のブログでも親の急死を取り上げましたが、自分の親が自ら命を絶ったことは 言葉では表せない痛みがあると察します…。

ノルウェーで「自殺」は、日本ほど多くないものの、深刻な社会現象としてとらえられています。しかし、それとは裏腹に精神的サポートにあてがわれる予算などは減少しており、この出来事を機会にまた予算が見直されるかもしれません。

 

今晩は首相の新年スピーチですが、私たちはその前に就寝するので、また明日チェックしたいと思います。

 

 

父のこと

みなさまこんばんは。日本でも年の瀬とあり、お忙しくお過ごしと思います。

「いよいよ」クリスマスを国民で祝うノルウェーで、みんなが待っている日が明後日となりました。イヴの前日、明日12月23日はこちらで"Lille julaften"(リッレ・ユールアフテン、ちっちゃいクリスマスイヴという意味)と呼ばれ、お茶の間では毎年特別番組でクリスマス料理を作っていたり、豪華ゲストが出演します。ツリーを飾り付けるのもたいていこの日の家庭が多いです。日本の年越しを彷彿とさせます。

今日書いてみようと思ったのは、実はクリスマストピックではなく いたって個人的な、私の家族のストーリーです。というのも、うちの父がこの日に他界してから今年で41年になります。興味がある方は続けて読んでいただけたら嬉しいです。

 

平凡に幸せに暮らしていた家族に降りかかった事故

父は北海道で自営業をしていました。母と結婚して10年、3人の子宝にも恵まれ、本人も30代半ばで、まさに「これから」という人生だったと思います。私は小学校1年生。かなりおませで「しっかりもの」だったので、両親のすることにも口を出していた方でした。そして、たいへん父親っこでした。

12月中旬のある夜、久しぶりに父が母と二人だけで外に出かけました。私の上には兄、下は弟ですが、数時間だからという感じで子供だけでお留守番だったのです。私は両親にうちの鍵を持っていくよう頼み、玄関の鍵を閉めました。ところが、彼らは鍵を持たずに出たため帰宅後うちに入れず、父が2階にあった大きなお風呂場の窓から中に入ろうと試みたところ、滑って頭から落ちてしまったのです。およそ2メーターちょっとくらいの、それほど高くない場所からでした。

次の日の朝、私たちを起こしに来たのは叔父でした。「お父さんが大変なことになっている」「お母さんも病院だよ」と。それから数日後、病院にお見舞いに連れて行ってもらったのですが、父は事故以来意識が戻らず…。結局、数日後にそのまま他界しました。脳挫傷でした。

 

それぞれの痛み…

こちらで行ったソーシャル・ワークの学校では児童心理学の科目もあり、その時に親を亡くすことの子供の精神に与える衝撃・その後の精神的傷などがトラウマになりうる、というのを初めて学びました。子供にとって、親を亡くすのは世界で一番恐ろしいことの一つです。まるで目からうろこのような体験でした。と、いうのも父の死後 私たち家族に起こった出来事と習ったセオリーにオーバーラップするところがあったのです。急死というのも、最後のお別れができなかったり、言い残したことがある場合、さらに痛み・悲しみが増します。

7歳だった私も初めて人の死を目の当たりにしました。体はあるのに、呼んでも答えてくれない状態。冷たく、硬くなった顔。そして、あまりにも急だったので、本当に父がいなくなってしまったことも、すぐには飲み込めません。

悲しい、寂しい、という感情はあとからわいてきました。そして、「なんで?」という疑問詞。なんで父が死んでしまったのか。なんでこんなことが起こったのか。あの時、もし鍵を両親が持っていたら…、もし父が腕や足を骨折するだけで済んでいたら…、など考えは尽きませんでした。

そして、避けられなかったのが、自分自身の行動に対する「なんで?」。「なんであの時うちの鍵をかけてしまったんだろう」と、大人になってからもよく考えていました。鍵さえかけなければ、父は今でも生きていたに違いない。自分も父の死に責任があるのではないか、と。

自分が「しっかりもの」と言われていたことにも とても嫌気がさしました。もし、しっかりしていなかったら、鍵なんかかけなかっただろう…という思いからでした。ナラティブを学んでから、つくづく思うのは、やはり人の人格・アイデンティティーはこういった周りからの言葉で形成されてしまうということ。「しっかりもの」の自分に期待される行動をとっていたと思います。

この時の自責の念からは 30歳を過ぎて短期間参加していたグループセラピーで初めて解放されることとなりました。と、いうのも、グループの参加者みなさんから、「わたしだってそうしたわ。だって、泥棒とか怖いじゃないですか。」といったサポーティブなコメントをいただいたのがきっかけです。そう、そうなんだ。私のとった行動はいたって普通だったのだ。しかも、自分たちを危険から守る行動だったのだ、と。

ちなみに、父の両親にとっても最愛の息子を起こらなくてもいい、こんな事故で亡くしてしまったことも大きな傷となっていました。もちろん、うちの母にとっても、辛い経験が何年も続いたと思います。ただ、本人は私たちを育てるのに必死であまりそこまで考える時間も余裕もなかった…とのことでした。

 

長い月日が経ちました…

冒頭でも書きましたが、もう今年で41年が経ちます。長い年月です。私たち家族はその数年後、母の家族がいる関東地方に移り、現在も実家は関東です。(北海道から関東…これもなかなかハードな体験ではあったのですが、また後日取り上げたいと思います。)母はその後もずっと一人だったので、母子家庭で育ったわけですが、私たち兄弟3人とも学校も行き、普通に社会人になったので、母も安心したそうです。そこへ来るまでにも数々の大変な出来事はありましたし、普通に家族げんかもしていましたが、なんとかみんなで父の死を乗り越えていけました。

たしかに、「時が傷を癒してくれる」という言い回しがあるように、ある程度時間が経つことで人生にもいろいろな変化も起こり、最初のころの辛い感情などもだんだん薄れていきます。でも、こんなに年月が経ってもやはり父に会いたい思いは沸き上がります。父のことを考える時は、「今話ができたら、何を話すだろう」とか、「うちのノルウェー人の旦那のことなんて言うかな」などの想像するのですが、残念ながら、声や立ち振る舞いはもう覚えてはいません。父がいたから、私がこの世に生まれてきたので 自分が彼がこの世に生きていた証拠なんだわ、と思うようになりました。

 

このブログを読んでくださる方の中で、子供時代に親御さんを亡くされるという不幸にみまわれる方がどれだけいらっしゃるかはわかりません。ただ、これを読んでいただくことで、何らかの形でお役に立てれば、と思いました。そんな方がいらっしゃったら、今はお辛いかもしれませんが、きっといろいろなことが 徐々に、しかも良い方向に変わっていくことをお祈りします。

 

毎年、Lille julaftenは、父が生きていたことを記念する日でもあります。そして、クリスマスは私にとって、イエス・キリストを通して神様が表してくれた大きな大きな愛をかみしめ、感謝するときです。

メリー・クリスマス!

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NAV (ナーヴ)「総合福祉事務所」

みなさまこんばんは。お元気ですか?

今日は第3アドヴェントの日曜日です。ノルウェーアドヴェントでは紫が使われていて、うちでも紫色のろうそくを3つ灯しました。さて、先週はノーベルウィークで主にお隣、スウェーデンで連日催し物がありました。ノルウェーはノーベルの遺言により ノーベル平和賞のみを授与していますが、今年は去年ころまであった コンサートも催されず、ちょっと寂しい感じではあります。

ノーベル平和賞の授与式も終わり、第3アドヴェントとなると、いよいよクリスマスムード一色に突入です。今日のトピックはその中で毎日のようにニュースで話題になっている、NAVのことをちょっと書きたいと思います。NAV... ノルウェーに住んだことがある方は多かれ少なかれ見聞きする場所かもしれません…。

 

NAV =  Ny arbeids- og velferdsforvaltning

www.nav.no

NAVとは…簡単に言ってしまうと、公的福祉手当を出してくれるお役所です。たいてい「総合福祉事務所」と訳しています。NAVの「N」は、実はノルウェーのNではなく、「Ny」(新しい)、という意味の単語です。そうです、NAVはもともと3つあった福祉行政の窓口を一つにしよう、という福祉改革の末誕生した機関です。改革(NAV-Reformen)は2006年ころに始まり、数年かかりました。

もともとあった3つのお役所とは、簡単にいうと(1)年金や児童手当、病気休職手当(前回ブログでも書きましたが)を出していた国家機関のオフィス、(2)国立の職業安定所(ここでは様々な理由で長期で仕事に就いていない方々のサポートや援助対策なども行う)と(3)生活保護の市の窓口です。全く異なったこの3つの組織が市(区)ごとに統合するわけですから、本当に大変なプロセスだったと思います。

ちなみに、国から出る手当と市から出る手当では、種類は圧倒的に国の方が多いのですが、その数と言えば…私もすべて把握できているか、どうか。育児手当(親御さんが新生児の育児休暇中にもらうもの。お母さん、お父さん両方もらえます)から始まって、児童手当、ひとり親の手当、病気休職手当、年金、などなど。実は統合当時、国側は窓口も一つにするだけではなく、担当者も一人ですべてこなせるようなサービスを描いていたのですが…一人の人がこれらすべてのお手当をマスターするのは全くもって不可能です。

 

NAV と私…

はい、実はNAVは私が昔お世話になっていた仕事先です。2007年から2016年末まで、トータルで10年近く働かせていただきました。NAVの中でも、生活保護のセクションで 3つの異なる自治体に勤務しました。

丁度、統合政策が始まってちょっと経った頃。最初のオフィスでも統合の準備が進んでいて、二つ目と三つ目の市では実際に統合のプロセスの中で仕事していました。ちなみに、かなり多くの決定が自治体に任されていました。例えば、最初の市では 隣の市と合同でNAVを立ち上げる選択をしていましたし、二つ目の市ではNAVの中に生活保護セクションだけではなく、児童保護事務所も入れる選択をしていました。

実際の職務ですが、おそらく日本の生活保護セクションと同じように、申請してきた利用者さんと面談、事情を伺って、書類を審査・作成するものです。ノルウェー生活保護の法律では、生活保護とは一時的かつ、最後の手段として与えられるお手当ですので、生活保護セクションで働くには他の公のお手当にも精通していなければなりません。統合前までは、仕事が必要な利用者さんなら、その部分の業務は職業安定所にお任せして済む話だったのですが、統合後は自分たちにもそのタスクが課されてしまいました。例えば、利用者さんに職業訓練に行っていただいたり、NAVで管轄している研修に参加してもらったり。そのために各種異なったコンピュータのプログラムもマスターしなければならないし、また他の機関が普段使っている法律も把握しなければなりません。

特に最後に務めたオフィスはノルウェー国内最大というくらいの大きな事務所でしたので、利用者さんの数といい、こなすタスクといい、本当に毎日嵐のように過ぎていました。

 

ノルウェー中で騒いでいるスキャンダル、とは?

さて、日本とはかなり地理的・政治的な事情も違うのですが、ノルウェーではヨーロッパ経済区域内に関する条約を結んでいるので、公的手当などの決まりについてもヨーロッパ経済区域内の法律に従うことになります。

今回のNAVの失態とは、その法律を間違えて理解していたことから、病気休職手当などを受給されていた利用者さん(で、ヨーロッパ内に滞在していた)がNAVから返済請求が来たり、詐欺罪で起訴されていたという話です。(返済ができずに懲役刑を受けた方もいるとのこと)本来はヨーロッパに滞在しながら受給しても合法なのです。

この話がスキャンダルになっていることの理由の一つは、利用者さんと直接会ったりする担当者の中には、「これって間違っているんじゃないか」と問題定義した職員がいたにもかかわらず、上にいる人たちがまったく相手にしていなかった…ということ。

NAVは区や市のローカルオフィスの他にも様々な専門機関ができていて、いまやマンモス組織になっています。それだけ大きな組織となると、なかなか下で働いている職員の声はやっぱり聴けなくなっちゃうんでしょうね。

実はNAV-Reformen、この改革以降、様々なスキャンダルがありました。まず、利用者さん達からのクレームの殺到。職員たちの疲労困憊が利用者さんに対するサービス低下につながり、様々な失態(受け取った申請書・書類の紛失など)を聞くのも日常茶飯事でした。私も実際に二つのオフィスで引っ越しなどを経験したので、そのカオスぶりはすごいものがあったのです。お国がらなのか、どうかはわかりませんが、なんだかノルウェーの人たちって、「とりあえず、やってみよう」精神は良いのですが、やることが長期的かつ綿密に考えられていない気もします。つまり、改革の時も前もって計算されて計画された、というよりは急にいろいろ上からお達しが来てそれになんとか間に合うようにやっていた印象です。

 

私が勤めていたNAVオフィスを離れ3年が経ちました。今の仕事でもこのオフィスと関わることがあるので、昔の同僚たちの懐かしい顔を見ることができます。「もう、うちには帰ってこないの?」と聞いてくれる同僚もいるのですが…。日本語っぽく言うと、「もうNAVは卒業しました」かな?

 

 

ソケイヘルニア 日帰り手術  IN  オスロ 3 ― 手術後の経過

こんばんは!

ソケイヘルニア・トピックも今回で最終回です。今日で手術から11日が経ちました。もう合併症の心配もなくなり、毎日病院からの言いつけを守って生活しています。仕事には来週から復帰ですが、フル復帰はもうちょっと先になりそうです。

さて、前回は手術日当日の様子を書きました。今日は実際の手術法・病院からのお達し・ノルウェーでの病気休職システムについて触れたいと思います。

 

今回の手術―TEP法

前述のLegejournal(レーゲショナール、報告書のようなもの)に手術の詳しいプロセスや使った薬や補強材などが書かれていました。手術法はTEPでした。これは腹腔鏡手術の一つの手法で、主にTEPとTAPPという方法があるようです。実は数日前までアニメーションでこの手法を説明した動画があったのですが、現時点では消去されています。他に実際の手術の様子を見せる動画もあるのですが、あまりにエグイのでここでのリンクはパスいたします。

ソケイヘルニア日帰り手術をされた方々の他のブログには みなさん手術方法をどうやって選ばれたか、など書かれています。私は腹腔鏡手術は初めてだったので、実はとても興味があり 是非この方法で受けてみたい、という強い希望がありました。ただ今振り返ると、正直なところ腹腔鏡手術をちょっと「なめていた」感があったことを認めます。イメージ的にも傷も小さいことから、かなり楽なのではないかという思い込みがありました。やはり、傷は小さくとも手術だったので、体にいろいろダメージがありました。ただ、良かったのは、当初一か所見つかっていたヘルニアの他に大腿ヘルニアという嵌頓しやすいヘルニアも見つけてもらい、処置していただいたことです。Kirurgen.no(外科医.no)というHPでもTEP法のことが書かれていましたが、なんでも検査時に見つからなかったヘルニアを見つけて治療するには大変有効な手術らしいです。(普通の開腹手術では腹部・鼠径部を全体的に見渡すことができないため)

 

術後の自宅療養

病院からのお達しでは普通の動作は痛みが出ない程度に「どんどん体を動かしてください」と言われていました。ただし、最初の4週間、持つのはマックス5キロまで。と、あとはおなかを使う動作は最初の2週間避けてください、とのことでした。おなかを使う動作とは、自転車や腹筋を使う姿勢、トイレでいきんだりすること…だそうです。

痛みについては 当日を除き、ほとんど鎮痛剤をのまずに済みました。が、やっぱり体を動かすとき、動かした後は痛いです。 傷も時々痛かったりしますが、傷よりもおなか全体に痛いことが多い気がします。前もって言われていた「青あざ」も徐々に出現しました。あと困るのはおなかが腫れていて、服がきついことくらいでしょうか。

寝返りも痛くてうてないので、ずっと同じ姿勢で寝ているためにおこる腰痛。おそらく体がちょっと緊張しながら寝ているせいでおこる肩こりや筋肉痛などもあり、体のあちこちが痛い状態です。日本にいたら、温泉に行ってリラックスできるんですけど…

 

病気休職届 Sykemelding - SM

福祉国家ならではのシステムにSykemelding (シーケメルディング、略してSM)というものがあります。これはケガや病気、うつなどの精神的な状態でも ドクターが「仕事をできる健康状態ではない」と判断すると 書いてもらえます。もちろん、自分のしている仕事との兼ね合いもあるので、より体力を使うお仕事の方などはヘルニア手術の場合、長く出ます。もちろん、人それぞれ術後の経過も違うので、初回出してもらったのが足りない場合は執刀医または病院に言って延長してもらえます。

冒頭にも書いたのですが、フルに復職するのは今の時点ではちょっときついものがあるので、病院に部分的にSMを一週間ほど出してもらおうと思っています。一般的にも国では復職を奨励しているので、もしフルで働くのが不安な場合も、ドクターとパーセンテージを相談して部分復職することができます。 

 

今は多くの病院やクリニックでオンライン化していますが、Lovisenbergはなぜかここだけちょっと古くて、昔ながらの書類でSMをいただいてきました。SMはA,B,C,Dの各パートに分かれていて、それぞれ提出先があります。Aは病院から福祉事務所(NAV)に送ってもらうので関係ないですが、雇用者に出すもの(C)と病気休職手当(sykepenger)の申請書(D)は自分で送らなければいけません。残りのBパートは自分の控えです。ノルウェーらしいわ、と思うのは、雇用主に出す書面には病名は書かれておらず、基本的には病名は個人情報で、職場に知らせる義務はありません。職場にはどのくらいの期間休職するか、また復職後の職場側からのケアの必要性のみを知らせる義務があります。

休職手当ですが、最初の16日間は雇用者の負担期間となり、それを超えると国から支払われます。なので長期休職の場合、申請書のDはNAVに提出するのですが、私の雇い主のオスロ市は国が払う分も立て替えるので、Dも雇用者に出すよう書いてありました。そういった雇い主をお持ちの方は病気休職中も働いている時と同じようにお給料が毎月振り込まれるので大変楽ですね。そうでない場合はこの申請部分がスムーズにいかないと、収入が途切れたりしてしまい、困ったことになります。ちなみに、このお手当は52週間収入の代わりにもらえることが保証されています。(収入が一定でなく、上下したりする方々も審査期間がかかったりすることがあります。)

ただ、気を付けなければいけないのは、一度休職するとパーセントに関わらず SM期間のカウントが始まり、完全復職(friskmelding)後26週間経たないうちに また休職届を使うと、前回カウントの期間内となり、自分が知らないうちに52週間というお手当の期間を使い切ってしまう方もいます。そうなったら、いったん病気休職手当は打ち切りとなり、違うお手当を申請することはできるのですが、仮に支給されてもグンとさがって三分の二ほどになります。

 

医療費

そういえば、かかった費用について書いてませんでした。こちらは「自己負担金1」(egenandel)という自分で払う医療費が今年は2369クローネ(現在のレートで約2万8千円)で、私は11月の時点でこれを払い終えていたことから「無料カード」(frikort)をもらっていました。今回の検査や手術はすべて公のシステムを通したので、手術代は無料だったのですが、資材費として千円ほどの請求が来ました。これは使った絆創膏やガーゼなどだと思います。

ちなみに自己負担金には「2」という種類もあって、1はかかりつけ医、心理療法士、病院で行われる各治療や入院など。2は主に理学療法士が該当します。

 

まとめ

これからもしかしてノルウェーでヘルニア治療などを受けられる方も想定して書いてきました。ノルウェーのシステムについてもかなり触れたのでちょっと長めのブログになりましたが…。

経済的なことを考えると、福祉国家ノルウェーの医療や収入保護のシステムは文句なくいいと思っています。ただ、今回はいのちに関わらないような病気だったので不安はなかったものの、やはりこのシステムにも限界・問題点は本当にたくさんあるなあ、と思うところ多しです。もうちょっと日本のように専門医を自分で選んで、いつでも行けるといいのですが。今のところ、それができるのは富裕層に限られています。

 

ソケイヘルニア 日帰り手術  IN  オスロ 2 ― 手術日

こんにちは!前回に引き続き 腹腔鏡での日帰り手術についてのブログです。今日は手術から6日目ですが、引き続き自宅療養中です。

 

手術当日の朝

当日は午前9時までに受付に来てくださいとのお達しでした。前もってもらっておいた注意書きをよく読んで、まず1週間前より普段飲んでいるビタミンのサプリメントを中止。どうしてかは聞いていないのでわからなかったのですが…

絶食は前日の夜10時くらいからしていました。(注意書きには6時間前、でしたが)案の定、手術前の緊張でおなかもすきません。飲料は朝7時前に紅茶一杯(砂糖入り、ミルクは不可)と果汁のジュース(Saft)を少々。自力で病院まで行くので糖分は取りました。

ドキドキ汗をかきながら、いざ早目のバスで病院のあるオスロへ。自宅から病院までは小一時間ほどの距離です。

 

Dagkirurgisk Avdeling (日帰り手術課)

日帰り手術課に着き、受付をしたのが8時40分ころ。ここはヘルニア以外の他の日帰り手術もしているところです。そのあと、今日の私の担当、ヘレネさんという女性の看護師さんがロッカーに案内してくれました。パンツ以外は靴下もすべて病院のに着替えます。パジャマの上にガウンも来ます。ちょっと待ち時間があるので携帯は手術まで持ち込み可。あと、前もって聞いておいた歯ぎしり予防のマウスピースも持ち込みさせてもらいました。

着替えた後は個室で問診です。名前などを確認後、リストバンドをもらいます。ここには名前、住所、ノルウェーのパーソナルナンバーなど。朝飲んだもの、食べたものを聞かれました。体温・体重も測って、そしておなかの毛の除去。本来は自分で除去はするそうですが、念のためやってもらいました。(追記 事前投薬もしました。)

 

さっきの個室から「休息室」に移り、私が今日使うリクライニングチェアに案内されます。この後、麻酔医が来て問診です。麻酔医も今日飲んだもの、食べたものを再度質問。それから、義歯の有無、過去のアレルギー反応など。この辺は日本の麻酔医が聞くのと同じような感じだと思うのですが。

なんでも、私の番は3番目。9時の時点では最初の患者さんのオペがもう始まっていて、もしかすると私が次になるかも、と告げられました。

そうこうしているうちに 隣のリクライニングチェアにいた男性が「なんか、前会ったことあるよねー?」と話しかけてきました。(別にナンパじゃなかったんですよ)ああ、そういえば、見たことあるわ、とちょっと彼と雑談。10年以上前の知人のお誕生パーティでした。彼はなんでも再発ヘルニアの手術で、主治医と相談のうえ、再手術はこちらに決めたそう。

時間はおそらく9時半過ぎだったでしょうか。執刀医登場。私に「準備OKかな?」と聞いてきました。なんでも雑談していた人が私の前だったものの、他院からの書類待ちなので、順番が入れ替わりました。さあ、所持品をナースステーションに預けたら、その先生と徒歩でオペ室へ。ものの数メートル歩いた先です。

 

いよいよオペ

よく、私は人から「どっしりしてて、動じないね」と言われるのですが、ぜんぜん本当はそんなことはなく、手と足に汗びっしょりでした。神様を信じているので、もうここはお任せするしかない、と腹もくくり、でも人間だから緊張が消えるわけでもなく…。

オペ室は、意外にこじんまり。たくさんのモニターがありました。すぐに、麻酔専門看護師さんともあいさつです。先生から、ヘア・キャップを渡され、手術台に横になります。右側では先生が腕に血圧計を巻いて、固定。左側では麻酔看護師さんが薬注入用の針を手首に刺すのですが、痛い!失敗です。前もって、血管が細くて入りにくいのを言っておいたのに… 「この前大腸検査で針入れたところでやってもらえませんか?そこだと入ると思います」と頼んだところ、今度は成功。そうこうしているうちにオペ看護師さんとみられる別の人がおなかに消毒液を塗り、その後おへそ消毒。なんだか、いっぺんに いろいろあわただしい…。やはりオペ前の忙しい雰囲気でした。と、そこへ麻酔医登場。例の三角形の酸素吸入器が顔にあてがわれました。「ふつーに息してねー」でも、かなり息苦しかったです。鼻でも詰まっていたのかな?さきの麻酔看護師に指示するのが聞こえました。横では睡眠剤が注入され、2度目の注入以後 意識がなくなりました。

 

リカバリーから帰宅まで

「はーい、手術終わりましたよ。ちゃんと呼吸してくれるかな?」の声で目が覚め、頭がぐるぐるする中も周囲を見渡すと どうやらリカバリールームのようです。手術中にすっかり夢を見ていて、手術のことも実は忘れていました。でも 終わって良かった、とほっと一息。おなかを触ってみると、ヘルニア部分には絆創膏はなく、おへそのあたりにあり、腹腔鏡で手術されたんだ、と確認できました。

最初お水を少しもらい、その後1時間半くらいはほっておかれたのですが、次々に手術が終わった患者さんが運ばれてくるのでリカバリールームが手狭になり、脈や呼吸が安定している人から どんどん移動させられます。よくみると、私が寝ていた台もベッドではなく、さっきのリクライニングシートがフラットになったもの。これで休息室へ移動です。時間は午後1時ちょっと前だったでしょうか。

それから ヘレネさんがまた来て食べ物は何がいいか聞いてくれました。私が頼んだのはベリーのヨーグルトとジャム・ブラウンチーズが乗ったオープンサンドのパン2枚。「全部頼んでも大丈夫よ」と、ヘレネさん。おちゃめな感じの看護師さんです。いろいろチョイスがあるところは ポイント高いです。

 

主人から連絡があり、午後2時ころ病院に着くと言います。食べ終わってゆっくりしているとヘレネさんともう一人別の看護師さんが 「トイレに行ってみましょうか」と、やってきました。数メーター先のトイレには自分で歩いていくのですが、これも帰宅前のチェック事項だそう。全身麻酔でおしっこが出なくなる人がいる、とのことでした。

チェック合格だったので、もう着替えて普通の待合室に移動してもいいと言われ、2時ちょっと前にロッカーへ。ちょうど来たばかりの主人と、執刀医に廊下でばったり会いました。ノルウェーは日本ほど詳しい術後の説明は(この程度の手術では)ないものの、短い説明があるとは聞いていました。先生はまだもう一つオペが残っているけど、今いいよ、とのことで別室へ。そこでは、手術は成功したことの他に ヘルニアがもう一か所あったこと(あとでもらった書類にありましたが、大腿ヘルニアでした。)術後の注意点、などなど。説明はものの5分くらいでした。

着替え終わってヘレネさんに声を掛けます。最後に彼女からも短いお話しがあるとのこと。この手の日帰り手術は後日検診などは通常ないので、絆創膏の張り替えについてや、痛み止めの服用などについて。万が一合併症を疑う場合の連絡先、それから先生が書いた手術の説明文(Legejournal レーゲショナール、報告書みたいなものでしょうか?同じものがかかりつけ医にも送られます。)最後に14日分の「病気休職届」(Sykemelding シーケメルディング)をもらいます。この病気休職届については後日書きたいと思います。

さて、いよいよ帰宅です。時間は3時近くになっていました。今日いっぱいは足を高くするように言われ、主人の車で帰路につきました。うちへ着いたのは1時間後。前もって作っておいたさっぱり目のうどんなどを夕飯に食べます。やっぱり、具合が良くないときはパンよりも日本食がおいしい!

 

これから自宅療養です。続きはまた次回ブログで…。

 

ソケイヘルニア 日帰り手術  IN  オスロ 1 ― 病院選びから手術まで

こんにちは、マイ・ユニです。今日は自分自身の生活から。ソケイヘルニアの日帰り手術を一昨日してきました。今、自宅療養中で経過は良好です。

以前の内視鏡大腸検査の時も書いたのですが、自分も他の方のブログでかなり勇気づけられたこともあり、思い切って記録してみることにしました。実は、ソケイヘルニアって女性より男性の方が多く、ブログでも女性からの体験談をあまり見つけることができなかったんですよね。

今回の1回目はノルウェーの医療事情も含めた 病院選びから手術に至る過程です。ソケイヘルニア自体は、検索していただくと各医療機関のHPで詳しい解説が出てきますから、省くことにしました。

 

ノルウェーの医療システム

外国人の私でもほぼ同じサービスが受けられますが、滞在許可をもっているのが前提です。滞在許可が取れると次の手続きは「かかりつけ医」"fastlege" の選択です。公の専門的な治療はかかりつけ医を通して受けられます。こちらはオンライン化がすごく進んでいて、www.helsenorge.no というページでかかりつけ医を選択します。次の月の一日よりこのドクターのところで予約できます。

Helsenorge.no に行くと各県のかかりつけ医の名前、住所(クリニック名)、性別、持ち患者数、新患受け入れ可能か、などが見られます。かかりつけ医の中では地域のクリニックで診療している人も多く、そこそこのクリニックではなるべく早く予約が取れるシステムを導入しているところがあるので、クリニックのHPで確認してみるのもお勧めです。

ヘルニアなどはかかりつけ医から専門機関での検査や専門医への紹介状が必要ですので、まずはかかりつけ医で診療の予約をします。

 

今回のヘルニア

今回は右の下腹部だったのですが、実は左鼠径部も以前やっています。左の方は19歳くらいに発症していて、日本で一度手術。その後すぐに再発していたのですが、やっと思い切って再手術したのが2006年。その時はオスロの違う大きな病院でした。

右下腹については、ずっと子宮筋腫だと思っていて、おそらく1・2年はあったと思います。ただ、筋腫にしては痛みや不快感が強くなってきて、左側の時同様、横になると消えることから、自分でヘルニアかなと思い受診しました。(子宮筋腫は横になると逆に触れるというのもネットで読みました。)かかりつけ医から検査機関でのCT検査までは割と早くて1週間程度の待ち時間。

さて、福祉国家の医療のマイナス面として 待ち時間が長いことや、自由に治療機関を選べない、などがありますが、それを改善すべく、今は"Fritt behandlingsvalg"という自分で治療機関を選ぶオプションがあり、先述のHelsenorge.noに行くと具体的な手術や治療をしている全国の病院がリストアップされ、待ち時間や年間治療数などを確認することができます。ソケイヘルニアの治療もこちらに載っていて、今回は自分の地域の病院(Ahus)ではなく、オスロのLovisenberg Diakonale Sykehus(ロヴィ―センバルグ・ディアコナーレ・シーケフース)を選びました。自分で治療機関を選ぶ場合は かかりつけ医が紹介状を送る前に伝えます。選んだ理由は、数年前にこの病院でうちの夫がソケイヘルニアの腹腔鏡手術をしていて満足していることと、腹腔鏡のヘルニアのオペ数が他の病院に比べダントツに多かった、つまりそれだけ専門的にヘルニア手術をしているということからです。

 

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Lovisenberg Diakonale Sykehus のパンフレット

 初回診察

さて、CTの結果が出てから約3週間後、9月末にLovisenbergからの診察の案内が来ました。ここでは実際に執刀医からの診察を受けます。診察は15分で終わり、手術の日にちを自分で予約してくださいと言われました。その際、最短で11月4日と言われたのですが、職場と打ち合わせ後、11月26日で予約を入れました。

その後 再度病院から手術日の案内(午前9時に受付)やソケイヘルニア手術のパンフレットなどが送られてきました。(ヘルニアはBrokkと言います。)

 

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ヘルニア手術の患者用パンフレット

手術は腹腔鏡の日帰り手術で、全身麻酔をつかうので 手術日の絶飲食などの注意のパンフレットも一緒に送られてきました。当日は私が受付をする2時間前まで牛乳をいれないコーヒーや紅茶が可でした。絶食は受付6時間前から。その他、薬やサプリメントの注意など。「これを守らないと当日手術ができなかったり、今後も手術から外されることがあります」などの注意書きもありました。日本とは違い、こちらは医療機関もちょっと強気な感じしますね。

 

この続きは次のブログにて…。