ハンブルネスのひとりごと

ノルウェー在住のシステミックカウンセラーのブログです

オープンバイトとTMD(顎関節症)ー ノルウェー事情 その2

みなさまお変わりありませんか? 日本のコロナ事情もこちらのコロナ事情も、どうなんだろう、世界的に見てもかなり深刻になっていますね。ただ、唯一の救いはワクチン!本当にワクチンが早く許可され、効いてくれて世界の情勢も一転してくれたら… とただただ願っています。

今日は前回からの続きです。(前回まで)この春からどうもかみ合わせがおかしいと感じ、自分で開咬(オープンバイト)と気が付いたのが10月。と、ほとんど同時にMRI検査と口腔外科の受診… でも結果は「理学療法士に行ってください」と言われ 帰されてしまった。今のコロナ禍では日本に戻るのは困難なこともあり、こちらでどうにか治療してくれる人を探し始めた私ですが…

 

まずは訂正から

他の方の体験談について「見つからなかった」と書いていたと思います。が、果たして「顎変形症」「手術体験」「ブログ」と入れてみると、かなりのヒットがありました。訂正します!例えば、同じHatena Blog内ではこの方。

siretukyo-sei.hatenablog.com

顎変形症というと、日本の顎関節症4型にあたるのですが、ノルウェーではこのような分類はまだされていません。ただ、私の診断となった「下顎頭吸収」というのも、実は顎変形症にあてはまるようです。そして、顎変形症で手術をされている方々が結構いらっしゃることも知ることができたわけです。

 

 自分の体の変化を受け入れること

10月末の口腔外科でこの診断を受けてからというもの、実はかなり悶々と過ごしていました。昔(今年)の開咬になっていない写真を見ては「この時はまだ大丈夫だったのになあ…」と、ため息。ここ3年くらいなんだか毎年 病気(と言っても癌や心臓病ではない)を患っていて、2年前に心筋梗塞に突然なったうちの主人とくらべると「たいしたことない」と自分に言い聞かせるも この自分の体の変化を心で受け入れるのは本当に難しい作業でした。

ただ、先述の他の方々のブログを読むと、「自分は一人ではない」という思いが強くなったり、手術をされるほど重い症状の方々から励ましと慰めをいただいている気がします。間接的だけど、感謝申し上げます。

それと並行して、わかったのが 私はもともとブラキシズム(食いしばりや歯ぎしり)の症状が長年あり、しかも奥歯の早期接触もあったということ。*1 つまり、かみ合わせなども実は問題があり、顎関節に負担がかかる要素がいろいろあったので、今急に関節の吸収があったというよりは 数年かけて悪くなっていったということです。これまではかみ合わせって聞いてもピンときたこともなく、歯科治療に関しても 根幹治療とかインプラントほど 関心もなかったので、今回はかみ合わせも治せる良い機会になるのではないか、とも考えだしました。 

 

治療の進展は?

さて、前回ブログからの進展です。あの後、地元で予約が取れた理学療法士 Hさんの初回治療。ここで「顎関節の問題」と言うと「ああ、オスロにあるTMDで有名な療法士のところに行って」といきなり言われてしまったのです。Jさんという女性の療法士ですが、実は去年春、カイロプラクターに行く前に一度問合せていた場所でした。でも、かなり待つと言われたので、カイロに代わりに行ったわけです。案の定、今回も「数週間または数か月は待ちます」と言われたので 覚悟はしていたのですが…。突然、メールで13日の金曜日、キャンセルが入り予約をもらえました。

この地元の理学療法士も、Jさんも公との提携があるので、払った治療費が自己負担金としてフリーカード2というのに加算され、2万円ちょっと払うと今年分は無料になります。*2

13日、Jさんのところではたっぷり1時間かけて診ていただいたのですが、私のような症例の患者は診たことがないと言っていました。顎関節症とはいえ、口が開かないわけではなく、痛みも筋痛が主だからです。ただ、突発性下額頭吸収の場合は顎関節症にありがちなこういった症状はないことも普通らしいのですが。*3

f:id:Humbleness:20201122020940p:plain

*4

それから、地元の歯科医に日本でやっているようなスプリントを使った顎のけん引(脚注参照)ができるかどうかも聞きましたが、答えは「ノー」。自分の歯科技工士に問い合わせた結果、「見たこともない」のでできない、とのこと。結局、オスロ大の歯学部のクリニックとそこの先生が働いているというクリニックへ紹介状を二通送ってもらいました。

この間にも先日行った大学病院に正式クレームを書いて出したり(あまりに何もせずに帰されたことやTMDの外科的治療以外の知識が足りなすぎるという内容のクレーム)、うちから1時間先にある病院(大学病院ではない)の口腔外科に問い合わせ、セカンドオピニオンを聞くための紹介状*5をかかりつけ医に注文したところ…です。

うーん、なんかこの1か月ほど 突っ走った感ありますね。日本では医師を信用して「おまかせ」するという感じが普通ですが、こちらは「名医」と呼ばれる人は聞いたこともなく。私のイメージでは医者もみんな公務員でいい仕事しようが、しまいがあまり関係ないのでたらたら仕事している…(超ネガティヴ!)感が否めません。要するに、患者として自分の体は自分が一番よく知っていて、自分で責任持つって感じでしょうかね。医者にお任せするのは、本当に手術してもらっている時くらいかな? 

医療関係でも頻繁にノルウェー語にアクセントのある人(外人)と話すことがあり、なんか親近感。地元の理学療法士 Hさんもスウェーデン人で、なぜか安心感。(だって、スウェーデンの方が医療関係進んでるに決まってます!)結局、Jさんのところに通いだしても首や肩の問題もあることから、しばらく彼のもとに通わせてもらうことになりました。もちろん、ノルウェー人だからやぶ医者とかいうことはないと思いますが。何せ、この国は人口が少ないので、やっぱりちょっとレアな症例はかなりお手上げ状態かもしれません。

 

さて、これからもまったく期待はしないけど、この件でどんな歯科医や医師に会うのか…。もう自分のできることはした感じなので、あとは祈りつつ 待ってみたいと思います。コロナのせいもあり、気持ちはロー気味なのですが、なるべくポジティヴに頑張っていこうと思います。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。みなさんもお元気で!

 

*1:これは3年ほど前からつかっている保護用のマウスピースの削れている部分が奥歯のみということからわかった。

*2:フリーカードについては前回のブログご参照ください

*3:山口泰彦、顎関節の形態変化や咀嚼筋障害に起因する二次的咬合異常、日補綴会誌 Ann Jpn Prosthodont Soc 10 : 123-128, 2018 (文献2)山口泰彦.咬合異常.覚道健治,久保田英朗,小林 馨,
古谷野 潔,柴田考典,杉崎正志編,顎関節症(第2 版)京都:永末書店;2013,22‒24.

*4:同上

*5:公と提携している専門医や病院はかかりつけ医からの紹介状を直接送ってもらい、やっと見てもらえる仕組みです。

オープンバイトとTMD(顎関節症)ー ノルウェー事情

こんばんは。ご無沙汰しています。みなさまお変わりありませんか?

まず、いつも書いていますがコロナ禍のノルウェーのアップデート。はい、こちらも来週の月曜日より半分ロックダウンに近い状態となり、トレーニングセンターなどが首都オスロを中心に閉まります。あとはお店やカフェに入るときのマスクが義務付けられました。公共交通機関も同じです。ただ、イギリスやフランスの比ではないので 助かってはおりますが。

前回ブログでは「ノルウェーの歯科事情」というテーマで私の体験も含め書いてみました。今回は春以降に突然起こった顎の不調*1や今現在などを中心に綴ってみたいと思います。あまり他のブログでは顎関節症の治療を受けた方を見なかったので、もしかしてシェアすることで意味のある独り言になるかしら…と、思いつつ。顎関節症TMDとも呼ばれています。詳しくは以下リンクでご参照ください。

kokuhoken.net


歯科治療後に感じた奥歯の異変

子供の時の矯正治療で下2本が欠如しているため、下は右も左も親知らずがまっすぐ生えています。その右側に大きな虫歯を発見されたのが、3月。「抜け抜け」*2 という歯医者を何とか説得。無事にこの歯の一命はとりとめたのですが…。虫歯は歯の側面にあったものの、欠けた部分や歯の咬合面をレジンでしっかり補強するため、5月中旬に再治療。ただ、3月の時もそうだったのですが、やたらに知覚過敏があって右では噛めないので左でばかり噛んでいました。

異常に気が付いたのが5月下旬。なんだかしゃべるときに左の奥歯がカチカチあたるのです。早速、ネット検索でいろいろ読んでみたのですが「歯の治療でかみ合わせが変化することがある」くらいしかわかりませんでした。それと共に、ここ数年たまに感じていた顎の筋肉のこわばりも頻繁に出てくるようになりました。顎がかたくなって、よく動かない感じです。しゃべる時に「サ行」が特に発音しにくくなってきたり、舌足らずな発音になってしまいました。

この頃、歯科医より新しいスプリント(治療用マウスピース)を作らないかと、声がかかりました。彼も咬筋の緊張のことはずっと言っていて、それを緩和するのにスウェーデンで開発された「Shore Plate」が効果があるというのです。このスプリントは一般にスタビライザー型スプリントと呼ばれていて、上あごだけですが、はめると全部の歯が上下に均等にあたるようになっていて、奥歯だけ当たる場合におこる顎の負担を軽減する効果があります。このスプリント、作ったのはいいものの、どうも歯科技工士のミスで奥歯側の厚みが足りなかったらしいのです。そして前歯部分がやたらに分厚くなるという、あまり付け心地が良いものではありませんでした。この時の歯科医の見解は、私の咬筋の緊張がひどいのはかみ合わせからくる、と思っていたようです。そこでかみ合わせの専門医に紹介状を書いてもらいました。

 

開咬に初めて気が付く

ショア・プレートが効くものだと信じて辛抱すること数か月。その間、スプリントを調整すること数回。紹介状を書いてもらった先はオスロ大学の歯学部で、ここも他の専門医の例にもれず数か月待ちです。

歯科医での最後の調整が10月初めだったのですが、その時にはまた再三、親知らずを抜くように勧められました。理由は、私のかみ合わせがオープンバイト*3で、顎症状(TMD)の原因になっている…からでした。「もっとかみ合わせが正常ならこうは勧めませんよ。」とのこと。

がっくりしながら 帰宅。自分の口を鏡で見ているうちに、「おい、待てよ。もしかして 前はぜんぜん違ったんじゃない?」と、はっとしました。急いで昔の写真を探してみると。本当に昔はきちんと上下の前歯が噛んでいるではないですか!これって、一体どうしたんだろう???と、クエスチョンが浮かぶなか、歯科医に「証拠写真」を送りました。と、同時になんで今まで気が付かなかったのか、かなりへこみました。写真を見る限り、どうも春ころまでは上下はかろうじてかぶさっていたようです。そして、急に開咬になった原因はなんだろう、と検索しまくりましたが どうも理由はよくわかっていないようです。この時点ではこの歯科医は完全に「お手上げ」という態度でした。「こんなに急に開咬になる事例は教科書でも見たことがない」と。

 

大学病院の口腔外科で

顎のこわばり以外には夏ころに顎関節付近の痛みがあり、それをかかりつけ医に相談したところ、検査(MR)に回してくれました。待つこと1か月。MRの所見では異常らしいものはない、とのことでしたが、私の希望で口腔外科への紹介状を書いてもらいました。口腔外科は国立の(大学)病院内にあり、こちらは割とはやく(と言っても3週間ほど)で、検査予約のお知らせが来ました。前回ブログ後の10月末です。

さて、ここではパノラマレントゲン(全部の歯と顎の一部)とデンタルCTを取りました。触診などもありましたが、このCTからもらった診断は「下顎頭の平坦化」でした。こちらではSlitasjegikt、日本語では「関節炎」となります。通常とがっている下顎頭が何かの理由で吸収されて平坦になり、そのため顎が回転して開咬になったとの診断。ただ、炎症自体は今は見えないということでした。「ああ、加齢にともなってよくあることですね。」そして、「今は手術にはならないので、うちでできることはないです。あとは筋肉の緊張があるので、理学療法士に行ってください。」

「え、何もしないんですか?」と、私は愕然となりした。どうも、大学病院の口腔外科では外科処置以外の治療はしてないという意味らしいです。「え、それじゃ、オープンバイトもこのままですか…」「とにかく、がっかりされたとは思いますが、うちでは何もできません。」

 

結局のところ、TMDの知識も経験もないだけの話?

カイロでもショアプレイトでもだめだったから、大学病院まで来たのに。あっさり帰され、「なんてこったい」と、思ったものの、実のところ日本の大学病院の口腔外科のような治療をしてくれるとは 初めから期待してませんでした。

この後、なんとかならないか…と、ネットで情報を集めてはいろいろな機関に電話する日々。まず、読んだのが同じTMDで苦しまれた方のレポート。

www.nrk.no

あまりにもノルウェー医学会でのTMD知識が低すぎる、と訴えたこの方のおかげで研究グループが国によって立ち上げられたり、国の治療指針もまとめられたのはいいのですが、このグループも暫定的で期限が来て解散となりました。

私が電話などでコンタクトを取った機関とは:

Det odentologiske fakultetet (オスロ大学歯学部)、Tannlegeforeningen(ノルウェー歯科医師会)、Tannhelsetjenestens kompetansesenter i Øst (歯科ヘルス学術センター)& Pasientombud i Olso og Viken(患者が病院の治療やサービスについて相談できる機関)... 

そして、紹介状が送られたはずのオスロ大学歯学部では「あなたは登録されていない」との返事。コロナ禍でかなりぐちゃぐちゃになって、紹介状が受領されていなかったようです。勧められて、ここの先生が勤務しているというクリニックに問い合わせたり、他にも「TMD治療しています」という歯科クリニックを調べまくりました。

問い合わせた各機関の答えをまとめると、TMDの専門(歯科)医は「ノルウェーにはまだ居ない」こと、民間の歯科医がスプリント療法などは各自でやっているけど、病院での顎関節症の専門外来などもない、ということ。結局、病院の口腔外科で「何もできない」と言われたのも、もしかして手術以外のスプリント療法などが確立していないから?と、言うことかもしれません。

日本では素人の私が調べた限り、様々な治療法が10年以上前から行われているようです。自分の症状に近いもので見つけた治療法がこちら。

https://www.jstage.jst.go.jp/article/gakukansetsu/21/1/21_1_1/_pdf/-char/ja

 

福祉国家の落とし穴?

顎の領域は歯科領域というのも、痛いところです。と、いうのも前回ブログでお伝えした通り歯科医での治療は通常 全額自己負担だからです。もちろん、TMDのような顎関節の疾患などの場合は少しは国のシステムがカバーしてくれるのですが…。例えば病院で治療できたとしたら、一定の年内に収める自己負担金(2万5千円くらい)を払い終わると、その後の治療などは無料となります*4 歯科の場合は歯科医がそれぞれ値段などを設定していることもあり、上限はなく、しかも払った金額がすべてフリーカード2に計上されるわけではないので、かなりの額が自己負担になることも覚悟です。関節炎でも、膝だと病院で治療してもらえますが、顎は対象外という…。なんとも理にかなわない仕組みです。

先述のTMD専門カイロプラクターは国との提携がない全くのプライベートだったので、(日本の保険証が効かない施術師さんと同じです)去年はかなりの出費となりました。それであまり効いてる感じがなかったので、今回は新しく国のシステム下にある理学療法士を新たに探したので、来週行ってきます。こちらだと、支払った代金はフリーカード2の方に計上され、約2万円ちょっと支払うと年内は無料になります。

 

さて、これからどうしようかと考えていますが、まずは数か月続いている咬筋緊張の緩和からやってみます。(ちなみに、YouTubeで「顎関節症」と検索するとたくさんのセルフケア・マッサージのビデオにヒットします。それも試しつつ)そして、先ほどリンクに挙げた治療法で開咬に関する治療をしてくれる歯科医を探します。本当は全文英語の記事が手に入ればいいのですが。おそらく、こういった開咬はこちらでは正規の矯正になり、こういった治療はされていないと思います。私は歯並び自体は悪くないので、矯正は希望せず、顎の位置を元に戻したいだけです。この日本からの治療法で もし試してくれる歯科医がいて、成功しようものなら かなり嬉しいところですが…。最終的に誰も何もできない時は日本への一時帰国も考えます。

このトピックはまたアップデートしたいと思います。ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

 

*1:顎が固まったり、食いしばりや筋スパズムなどの問題は数年まえよりあり、去年からTMDを専門に治療するカイロプラクターにお世話になっていました。が、あまりこれといった効果はなし。

*2:日本でも親知らずは生えていても良いことがないから抜け、という歯科医が多いようですが、私は自分の歯はできるだけ抜きたくない方です。この歯も虫歯がしばらく日本の歯科検診で見落とされているようでした。

*3:開咬、前歯の上下の間に隙間ができている状態で、奥歯のみがかみ合っている

*4:病院やかかりつけ医にかけた費用はFrikort、フリーカード1の枠内に計上されます。歯科疾患治療での自己負担金、理学療法士での自己負担金はフリーカード2というまた違う枠内に計上。

ノルウェーの歯科事情

こんばんは。マイユニです。皆さまお変わりありませんか?

私は、歯がどうも昔から丈夫ではなく、歯科治療を割と受けてきた方だと思います。こんな私がノルウェーに住んでいるのがすごくミス・マッチな気もするのですが…。と、いうのもノルウェーは歯科治療がほとんどすべて自己負担なのです。今日はノルウェーの歯科事情について綴ってみたいと思います。

日本では「スウェーデン式 予防歯科」がかなり知名度が高く、私も日本で歯科にかかるときにノルウェーに住んでいる旨を告げると、隣の国だけに 同じような歯科医療になっていると思われるのですが。こちらで「8020運動*1 って、知ってる?と、いろいろなノルウェー人に聞いて見ても、「知らない」「聞いたことない」との答え。逆に、よく耳にするのは、「奥歯の神経の治療が要るから、先生に抜いたほうが安いって言われて抜いちゃった…」と、第1とか第2臼歯(中心から数えて6番目と7番目)を抜歯してしまうという話。周りを見ても奥歯がない人が少なからずいるのです。

 

大人になったら歯の健康は自分の責任

ノルウェーでは、18歳になると成人となりますが、成人後は歯科治療に対する国からの治療費の援助はありません。これだけ高度福祉社会なのに、です!それは、「大人になったら、歯のメンテはあなたの責任」というシビアさが背景にあるからでしょう。例外的に国の保険システムで援助も出ることもありますが、特別な疾病の場合のみ。それでも歯科医が各自で設定している料金により、自己負担金もかなり上下してしまいます。

治療費ですが、例えばレントゲンを撮って検査をして歯石を除去するだけでも1万ー1万5千円くらいは飛んでいきます。先に書いた根幹治療の方は歯の場所にもよりますが、奥歯だと8万円くらいから。(ただ、この値段はパッケージ価格なので、一つの治療に対し、いくらです。)これに、かぶせものや詰め物の費用などが加算されます。

経済的にひっ迫されている方は、どうするのかというと、ローンを組める歯科もありますが、諸事情によりローンなどを組めない方々は最終的には生活保護という手段があります。以前、オスロ市の生活保護課で仕事をしていた私ですが、そこではまず 市営クリニックへの紹介状(検査代金を保証する内容)を出し、クライアントさんに検査を受けるようお願いします。そこで市営の歯科が作る「治療予定・費用表」をもとに援助金を支給するしくみです。ただ、その市営のクリニックへの検査待ちも最低数週間なので、今 歯が痛くてどうしようもない方には緊急にお手当を出すこともあります。ただ、それも市営の緊急歯科クリニックで、最低限の治療のみ。ただ、歯科治療のみであっても生活保護を受けられる基準があるので、普通の給与で暮らしている方々は対象外となることが多く、かといってウン万円払う余裕のない方々は途方に暮れることも多いのです。

オスロオスロ近郊に住んでいる方々はノルウェーの唯一の歯科大学、通称Tannlegehøyskole (オスロ大学)で少しリーズナブルに診察、治療を受けられますが、ここははやり歯科医の卵が研修している場なので、待ち時間もかかりますが、治療中も先生の説明が入ったりで 延々と座って口を開けているのがしんどいと聞きました。

この、歯科治療の全額負担は これまでも改正しようと訴える政党もあったのですが、なかなか変わらないのが現状です。そんなこんなで、こんな背景もあり 検査をしてどんな治療をするかというときに 特に難しい根幹治療の時などは、かなりの割合で「抜歯」がチョイスとして挙げられます。そうです、隣国(というか4時間行った先のヨーテボリ)とはかなり違う事情です。

 

スウェーデンでは?ノルウェーとの共通点

やっぱり、気になるスウェーデンの事情。ここで見つけた実際にスウェーデンで歯科医をされている方のブログを張り付けてみます。

medium.com

以前にもたしかスウェーデン人と結婚されている方のブログを読んだことがあるのですが(今、どう探しても見つからないのです。ごめんなさい)、高額の治療に対しては歯科医療保険が使えるという内容でした。日本の生命保険のように自分でお金を出して掛けるタイプかもしれません。

同じブログにはご主人の歯の磨き方が書かれていました。フッ素入りの歯磨き粉をたっぷりつけ、あまりゆすがないという磨き方です。フッ素をお口の中に残すということですね。

ノルウェーでの予防歯科は、フッ素のサプリメントを飲んだり(未成年時)、やはりフッ素入りの歯磨き粉や 日本では売っていないフッ素入りの口内洗浄液などを使います。とにかく、フッ素がカンタンに手に入ります。先のブログのご主人ではないですが、うちの主人も歯磨き粉を(大き目な)ハブラシに3センチほどたっぷりつけて磨いています。私に比べ歯磨き粉の減りが異常に早いなと感じます。奥歯を根管治療する代わりに抜歯してしまう人が居る中、彼の場合は虫歯もなく 神経を抜いた歯も一本もないという、かなり恵まれた(と、いうかノルウェーの歯科医療にはお手本的な)ケースです。

 

昔と違い、「新規患者さんウェルカム」の今

最初に学生でオスロに住んでいた時も、実は虫歯ができてオスロで歯医者に行きましたが、その当時は本当に歯科医も少なく、「新規はお断り」も多かったのです。この歯医者さんは知人の日本人の先生だったので、コネを使ったと言ってもいいでしょうか。その後、地方に住んでいた時も数少ない(イコール選べない)歯科医に何とか診療してもらう感じでした。

ところが、2000年に入ってくらいからでしょうか、歯科医が海外から移ってくるようになり 都市部ではリーズナブルさを売りにする歯科医院がかなりできました。(田舎の方では、もしかしたら状況はあまり変わっていないのかもしれませんが…)私も、東ヨーロッパ歯科医を中心としたスタッフがいるクリニックに数年間通いました。ここでは、高額なインプラント治療などを同じ系列のハンガリーにある医院と提携することで、ブタペストで治療してオスロでメンテナンスというオファーもしていました。

今通っている歯科医院は、住まいから2キロ先のショッピングセンターにあるのですが、数年前に開業したところで かなり良いフォローアップを売りにしている医院です。

40を過ぎたくらいから、昔治療していた部分(根幹治療など)や二次的カリエス(詰め物の下で虫歯になる)の再治療も増え、基本的には日本の歯科を利用していて、ノルウェーの歯科医院はどちらかというと緊急時用のみでした。やはり、日本だと健康保険が利くことや 歯をなるべく残すポリシーの歯科医がいること、高度な治療、削らない治療などこちらの歯科医がやっていない新しいアプローチが施されているのが 全然違います。

 

まさかの虫歯を見つけられてから…

今年は年末年始の一時帰国した際に歯の診察をしていただいたのですが…。3月、何か固いものを食べていた時に下の奥歯が欠けてしまいました。そこで、ショッピングセンターにある歯科医に行くと、なんとその歯には歯茎との境目に大きな虫歯があったのです。(シミのようなものと思われて日本の歯科では見過ごされていたのでしょうか?)この歯は実はまっすぐ生えている親知らず。治療の前に、早速「抜歯したほうがいい」と何度も言われました。

子供の時の矯正治療で下あごは二本足りないこともあり、どうしても今は抜きたくないと言い張り、なんとか治療してもらえ この歯はまだもっているのですが。この治療もおそらくきっかけとなり、その後 予想していなかった事態に発展してしまったようです。

その事態とは…?次回ブログにてお伝え出来る予定です!(To be continued... ということで)

今回もお読みくださり、ありがとうございました。

 

 

*1:80歳になっても20本以上自分の歯を保とう…という、日本歯科医師会が推進してきた運動です。

自分のいのちは自分のもの?

こんばんは。お久しぶりです。皆さまお変わりありませんか?

9月ももう終わろうとしています。今月は、例えば、ギリシャにある難民キャンプ、Moriaからどのくらい難民を受け入れるかでノルウェーで大きな議論となっていました。(日本のメディアではほとんど聞かないキャンプですが…)

www.bbc.com

そうかと思えば、月末はまたコロナです。オスロでもコロナが再びまん延傾向になり、なんと今日から公共交通機関ではマスク直用が義務化しました。(と、いってもやっぱりノルウェー人。しない人もたくさんいます。なんでも警察がそこまで取り締まりできないとか。)

日本では先日の有名女優さんの訃報。なんだかこの数か月、自ら命を終わらせることを選択する方のニュースを耳にする気がします。前置きが長くなりましたが、今、実は 本業の方(訳あり若い子たちに関わる仕事)でもこのテーマに関わっていることもあり、今日はいのちについてのトピックです。とてもヘヴィーなのですが…。

 

クライアントさんからの問いかけ

一人のクライアントさんが最近 強制入院させられました。薬の過剰摂取、つまり自殺未遂です。

ノルウェーでは様々な条件がそろえば、精神的に深刻な状況の患者さんを強制的に入院させることができます。主に、その精神状態が本人や他の人にとって危険を及ぼすかどうか、が判断の基準となります。ただ、ずっと長期で強制的に入院させるのはかなり難しい場合もあります。

また、強制入院か否かというとき、もちろんご家族の意見も聞き入れなければなりませんが、ご家族の希望で強制入院が継続できるかといえば、そうでもないのです。

詳しい診断は精神科の主治医によって行われます。この場合、もちろんご家族と医師の意見が必ずしも一致するわけではないのです。

このような自殺志望のクライアントさんと関わるとき、一職員として できる限りの予防策をすることが義務づけられています。例えば、緊急診療チームへの通報など。人の命や安全に係わることは、守秘義務や本人の意思などは例外扱いとなります。

このケースは今継続中なこともあり、今は一般的な内容にとどめることにします。ただ、このクライアントさんが私にした質問がかなり印象に残り、ずっと考えています。

「あなたたちは私を助けたいでしょうけど、わたしの命を終えたい、という希望はどうなの?」

 

自殺について

まだソーシャルカレッジに行っていた時のこと。その日の授業は「自殺」がテーマでした。ある教科書を執筆した先生がゲストで招かれ、いきなり彼が日本の自殺事情について話し始めました。クラスの誰かが、生徒の中に日本人がいると(余計なことを)言ってくれたので、私も何か一言発言した記憶があります。そのくらい、日本では自殺者が多いというのが有名で、このテーマの研究には日本の状況もよくつかわれていると。

実はノルウェーでもかなり自殺者が居ます。数はおよそ年間で500-600人、そのうちの三分の二が男性です。*1 団体活動の盛んなノルウェーですので、かなりの数の団体がありますし、もちろん「命の電話」のような電話やチャットも複数あります。

もちろん、日本と比べることはできませんが、人口が少ない国の割には 私の主人の知人などにも 自殺された方は「わりと多い」のが印象です。

 

 自分のいのち…自分のもの?

 先のクライアントさんからの問いかけ。そうですね、難しい質問です。でも、実際は誰にも「じゃま」されることなく、命を絶つことを達成している方々もたくさん居る。つまり、本当に自殺を選んで実行したら、他人には助けるすべはないと思います。

おそらく… まったく生きる希望や望みが見えなくなっていて 自殺を選ぶ方は 誰ともつながっていないような 自分はポツンと一人で生きているような感覚を持っているのかもしれません。自分のいのちは 自分で実際はなんとでもできるけど、もし誰かとつながっていたら、自分が居なくなることがどんなに その誰かに痛みや苦痛を与えるか想像できるはずです。言い方を変えると、自分のいのちは自分だけのものではなく、この「誰か」のものでもある…。

でも、こう言うのは 簡単です。今まさに、いのちを終える選択をされようとしている方には全く意味のない言葉に聞こえるかもしれません。

この私のクライアントさんに、本当に理解してもらいたい。「ひとりじゃないよ」ってことを。それが、これからこのクライアントさんに関わる中で私のフォーカスになる気がします。

暗くなり、寒くなるノルウェーですが、またパワーを充電して、ブログに挑みたいと思います。ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

*1:FHI rapporten, Selvmord i Norge - may 2020 より

"Mine 25 år i Norge" ノルウェー生活25年を振りかえって… その5.2010-2020年 ダイジェスト

こんばんは、マイユニです。皆さまお変わりありませんか?

今日の日本のニュースを見る限り、まだ心配は残りますが なんとかコロナ状況も上向きになってきているようですね。しかし、ここから私たち海外在住者が自宅検疫なしで入国できる日がいつ来るのか…。

そして、ノルウェーでも14時に首相らの記者会見があり、実は状況は悪くなっているとのこと。このまま収束方向に行かないと、またカフェなどが閉鎖したりする可能性があると…。このニュースを聞いて実はがっくり来ている私でしたが、気を取り直してブログに取り組んでいます。

さて、今年はノルウェーに来て25周年記念ということで、いろいろな出来事をブログで振り返ってきましたが、今回でとりあえずの最終回となります。どちらかというと、やはり初めの15年が一番ドラマチックだったな、と書いてみてしみじみ思う限りです。一方、2010年からはというと…もちろん様々な変化があった年月でしたが、ずっとオスロオスロ近郊に居るので基盤ができた感がありますね。今日はこの10年をテーマ別に一気に振り返ってみることにしました。

 

ネットデイティング卒業へ…

2009年の暮れにコンタクトがあったKさんですが、年が明けた2010年2月に初めてお会いました。初めの印象は、とにかく優しくていい人。彼はシャイでいわゆる「もじもじ」タイプだったので、ちょっとフラストレーションを感じたりしましたが、お茶したり、食事したり(いわゆるデートですね)していく中で、やっぱりお付き合いしてみようとなり、お付き合いしてみるとやっぱりかなり癒し系のいい人でした。私の新居を見に来てくれた母や母の友人にも すっかり気に入られ、その年の暮れには一緒に日本へ行くことになったのです。

それからほどなく結婚の話も進んで行き、なんと2011年夏には長年のネットデイタ―を卒業して、めでたく結婚に至ったのでした。この時のことを振り返ると、やっぱり不思議です…。話が進む時にはこんなに楽に進むものだ、としみじみ思います。以前短い期間お付き合いして結婚につながらなかった二人と比べると、やはり彼は結婚の準備ができていて、「グッド・ハズバンド」の要素が多々ある人。そして何より、お互いに無理せず いろいろなことに合意することができるほど価値観がかなり似ていた、というのも要因だと思われます。タイプとかルックスとかは、これも人ぞれぞれなのですが、ある知人の方のアドバイス、「いわゆる普通のルックスでも、彼にどこかきらりと光って好きな部分があったら、しめたものよ」というのも思いだしていました。まあ、私も普通のルックスなわけで、等身大の相手とはこのことですかね。

結婚とは、日本でいう「ゴールイン」とは逆に新たなに出発だと思っています。私もこの全く他人のKさん、しかも生まれも育ちも母国語も違う人と一緒に人生を共にしてきました。この結婚生活については来年ちょうど10周年を迎えることもあり、その機会にもうちょっと詳しく書いていきたいと思います。

 

複数回のお引っ越し

初めて購入した自分のフラットは2010年3月に引き渡し。やっぱり初めての不動産購入では、チェックが甘かったことで後々トラブルがありました。例えば、不動産やさんから聞いていた「共同駐車場」は、実は24時間以上は停められないと判明。不動産屋さんに確認せど、こういった事実関係を確かめるのは実は買う側の責任ということもあり、仕方なく地下駐車スペースを買い足すことになりました。

それから、この小さな一人暮らし者用のフラットは若い人たちが多く住む関係で、ノルウェー人にありがちな「おうちパーティー」が毎週末にあちらこちらで行われており、私の真下の20代の住人も典型的なパーティー男子*1でした。苦情を言ってもぜんぜん無視され、金・土は夜中の2時・3時までそのガンガン音楽に付き合わされる始末。こうなると、警察に電話を入れるしかなく、(来てくれる時と来てくれない時が在りますが…。) 何十回かけたかわかりません。ご近所さんは自分では選べないので、本当に運が悪いとしか言いようがなかったです。

先述の通り、そうこうするうち結婚することになり、このフラットは1年半ほどで売ってしまったのです。この後も引っ越しは2回続きました。まず、私のフラットを売ってから、Kさんの住んでいた家(コテージですが)に仮住まいとして3か月住み、その間に今の住まいを購入してまた引っ越しです。(この今の住まいも実は欠陥だらけの物件でしたが…。ここでは場所の関係で省略です…。) この時、ノルウェーに住んで16年くらいでしたが、この間にいろいろな事情で引っ越しした回数は15,6回。引っ越しのプロのようになっていましたが、やっぱり住んでいる期間が長くなればなるほど、物も増えるし、大変になっていきますよね。今住んでいる所は年をとってメンテが難しくなるまでは住めると思うのですが…。

 

ソーシャル・オフィス…その後

オスロ市、ガムレ・オスロ区のソーシャルオフィスの契約職員として2009年5月に働き始め、そのまま契約は伸び、最終的には1年半後にやっと正規職員のポストをゲットしました。その間に、ソーシャル・オフィスはNAV*2合併して職員150人、当時の来館クライアントさんは日に300,400人というノルウェーいちを争うほどのマンモスNAVと化しました。

人の移動も激しかったのですが、新規クライアントさん受付の課は「Publikumsmottak」(プブリクムス・モッタ―ク、PM)と改名し、合併に伴い外から来た課長も加わりました。ところが、この課長が私たちのもともとのやり方・働きを無視する傾向があり、しかもソーシャルワークを全く理解していなかったことで、複数の同僚が抗議。3,4年後にはほとんどの同僚が他のNAVオフィスに転職してしまうという事態になりました。残された私もストレスで燃え尽き症候群手前の状態となり、数か月休職。この病気休職がもとで、他の部署に移転願いを出し、同じNAVオフィスの長期利用者さんの課に2014年から3年近くお世話になりました。このチームではベテランのソーシャルワーカーがリーダーだったり、同僚も仕事のできる人が多かったことから いろいろなことを学ばせてもらえました。この課での受け持ちはざっと100人ほど。本当に一日があっという間に過ぎてしまうという毎日でした。ただこの頃になると自分をケアする働き方もだいぶ学んでいたので、仕事がたくさん残っていてもオース時代のように夜まで働くということはありませんでした。

ノルウェーは通常、年金から病気休職手当、失業手当に至るまで 自分のこれまでの収入により換算されることもあり、就労していない人は年金なども最低限というシステムになっています。NAVはこれらのお手当を出す機関でもありますので、おのずと「就労第一」主義になっています。逆に言うと、就労すること以外に価値が認められない感じです。そんなこんなで、生活保護受給者は常に就労につながる支援を強制的に受けなければなりません。

まだカルモイにいる2005年に1年間だけファミリーセラピーの基礎の学科を取ったのですが、そこで学んだ「システミック・アプローチ」は本当に「目からうろこ」でもっと勉強したい科目でした。ただ、費用の面*3でも時間の面でも続ける機会にしばらく恵まれず、やっと2年目を取れたのが2013年。NAVのポリシーに以前から疑問を感じていましたが、学べば学ぶほど、自分が希望するクライアントさんへのアプローチの仕方と実際の業務における枠組みにギャップがあり、もっと同じポリシーの職場で仕事がしたい、と思ったのです。

さて、そんなこんなで、「脱NAV」をかけての転職活動を徐々に始めました。が、本当に数年越しの職探しでしたので、いかにモティベーションを高く持ちつつ、頑張れるか…という、またしても自分との闘いだった気がします。そしてかなりの仕事量をこなしながらの転職活動も、なんとか仕事との折り合いをつけて面接に行く時間を見つけなければならず、ハードでした。*4

 

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NAV Gamle Oslo での最後の日。自分のデスクも片付けて、さようなら。

オスロ・レフジ―キャンプ Oslo Mottak から ウングボー Ungbo へ

2016年、オスロ市が新しく難民キャンプを市内で始めるため、職員を募集していました。ファミリーセラピーに直結した職種ではありませんが、新しい職場というのにとても興味があり、更に60%という求人だったため、これで修士論文が書く時間ができる、と思ったのです。(主人にも収入が減る旨了解も取り…) そして、応募者が多数にもかかわらず、正規の職員としてお仕事をいただき、2016年10月末にNAVを去りました。

結論から言ってしまうと、このキャンプに「ちょっとお邪魔した」おかげで、今の職場にお仕事をいただけた…わけです。UDI(外国人管理局)から請け負って2016年に開館したキャンプですが、UDIの方針変更で2018年3月にあっけなく閉館となってしまったのです。もともと、このキャンプは当時の担当大臣であったリストハウグさんの案で、「インテグレーションをより速く」というコンセプトのもとに設営された5つの「スーパーキャンプ」の一つでした。つまり、亡命申請した方々のうち、申請が許可されるとみなされる方々を収容してこの時点でノルウェー語コース、職業訓練コースに通ってもらって、許可後にはスムーズに社会に適応してもらおうという趣旨だったのです。ただ、国側もオスロにこのキャンプがあることの弊害を徐々にキャッチしたと思われ、上手く行っていたにも関わらず閉鎖を余儀なくされたのです。

さて、60%とはいえ、正規の職員だった私なので、こういった職場の閉鎖にともなっては一定の権利があります。「自分で転職活動をする」という条件付きで、それでも職にあぶれる場合は近い部署から転所できるかどうかを調べてもらいます。まずは同じセクションや部門から。それでも空きがなかったり、自分が適正と認められない場合は、オスロ市全体で探してもらいます。他の同僚がNAVに紹介されるなか、実は自分もNAVに回されるのではないかという一抹の不安はあったのですが、本当に偶然にも以前仕事に応募していたUngboに空きポストがあるということで、所長ら二人から面接を受け、めでたく「引き取って」もらえることになったのです。なんだか、自力でゲットした仕事ではないものの、ここにも(クリスチャン的思考でいう)「導き」があったのかなあ、と思わずにはいられませんでした。そして、この職場でも去年2月からチーム To Skritt Fram (2歩前進という意味)にチーム変更していただくことができました。*5 こちらのチームでは同じファミリーセラピーを学んだ「先輩」たちが2人、と仕事の姿勢や考え方もNAV同僚とは全く違っています。学んだことも活かせるし、もしかしたら、定年まで働けそうな職場かもしれません。

 

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現在、遊園地の隣の住宅街に住んでいますが、冬はこんな感じ。

 

さて、ノルウェーにいる間に20代の若いおネエチャンから50近くのおばちゃんになってしまいましたが、そうですね。後悔はないかな。昔、Mさんから言われたように ノルウェー語という外国語で勉強したり仕事をしたりすることで日本語でやるのと比べて ハンデがないと言えば 嘘になります。実際、私がお仕事をさせてもらった場所を見るとほとんどが難民や移民がクライアントさんとなっているところが多いです。でも、自分の日本人的な労働モラルや仕事に対する真摯な姿勢、正確性などはおそらく周りの方々にはポジティヴに映っているに違いありません。

他の国に比べ、「肌の色」での差別は感じたことはありませんが、人によっては外国人に懐疑的であったり、冷たかったりするのは事実です。それから、異文化バックグラウンドがあることで、仕事におけるチャンスはノルウェー人(で私と同じくらいの知識・経験がある人)とくらべると制限があるかもしれません。もちろん、こんな現状は嬉しいことではないのですが、憂いていても状況が変わるわけではなく…。変えられるのは、状況に対する自分の反応でしょうか。前向きに頑張っていたら、不公平をする人が居たとしても、別なところに評価してくれる人は必ず居る…、というのが持論です。

6月から(思いのほか)長く続いてしまったシリーズですが、ここまでお付き合いいただいてありがとうございました。また次回からは新たなトピックを探してできるだけ読んで意味のある「ひとりごと」を綴りたいと思います。では!

 

(追記:自分の表現不足で伝えたいことがちゃんと伝わらなかったりしたこともあり、ちょこちょこ手直しいたしました。ノルウェー、9月13日)

 

 

*1:5月25日付のルスのブログ参照。本当にこの迷惑加減は日本ではそうそうないですよ

*2:総合福祉事務所 、12月15日のブログ参照

*3:こういった専門的なコースは国からの助成金がないこともあり、学費が年30-40万ほどかかります。そして、このコースはスーパーバイジングの中で会話の訓練をするので、スーパーバイザーの費用も別途必要です。

*4:新しい仕事を見つけてから辞めることで、履歴書に穴を作らないことが重視されます。

*5:去年の10月27日のブログ参照

"Mine 25 år i Norge" ノルウェー生活25年を振りかえって… その4.オスロのシングルライフ

こんばんは。先週金曜日はクライアントさんとのアポもなく、安倍首相の記者会見をネットで見ることができました。これから日本は誰がリードするのか、本当に注目ですね。

その職場では、これまでは「一人ひとりコロナ対策を守って」かなり自由にテレワークとオフィスを選べていたのですが、今週からテレワークを一人あたり50%に義務づけというお達しがあり、「え、今頃?」というリアクションも多い中、新しい働き方にチャレンジです。

さて、今回のブログでは(まだ終わらない)25周年企画の続編です。またハーデランドを離れ、オスロに戻った頃の私のシングルライフを中心に綴りたいと思います。

 

独身で彼氏なし。またオスロで9平米の一間(ヒーベル)暮らしを始めたのは30半ばをとっくに過ぎた2008年夏でした。行政に携わるソーシャルワーカーとしてもまだ駆け出し。このころ一番の課題は孤独・孤立を防いでどうやって意味のある毎日を過ごせるか、どうやって「ないものねだり」や他人を羨ましいと思わずに自分の置かれている状況を好きになれるか、でした。グランの時に始めたコーラスやボランティア活動でも新しい友達ができたものの、自分から声を掛けないとあっという間に「ぽつねん」となってしまいます。若いころはあまり結婚は意識してなかったのですが、このころになると結婚して家庭を築く友人も増え、焦ってはいないと思いつつも、「自分も人生の伴侶が欲しいなあ」という希望が大きくなりました。なんていうか、時間、お金、労力を自分一人のためだけに使うことが寂しく思われたのです。

 

ネット・デーティング

この希望が浮かんできて「何かしよう」と思ったのは、実はまだカルモイにいる2004年ころ。このころはインターネットで相手を見つけるのはまだまだ「危険なこと」として見られていたのですが、真面目に相手を見つけたい人のための 真面目なデーティングサイト(クリスチャンを対象にしたノルディック全域にまたがるサイトなど)が現れ、私もいち早くこういった場所に出入りしていたのでした。1時間半かけて、休日の土曜日にスタバンゲル(ノルウェー第5の都市)にデーティング相手に会いに行ったことも数回。また、クリスチャンの有志の方が主催していた「ダンス・キャンプ」なる泊りがけのイベントにも1,2回参加。

とにかく、日本では彼氏歴ゼロだった私*1 は異性と知り合いになり、一緒に時間を過ごすことにまず慣れることも目標でした。オスロに戻ったことで、デーティング対象になる方が一気に増え、オスロ以外にも、4時間ほど東にあるスウェーデンヨーテボリのシングルグループにも顔を出していました。(ノルウェーのシングル友人たちの中には、「それってちょっと図々しいんじゃない?」という見解の人も居ましたが。ただ、本当に出会いのチャンスや異性慣れするチャンスを増やしたかっただけです。)「ネットデイタ―」だった7年程の期間でかなりの方と会い、そのうち二人の人と少しお付き合いもしましたが、そこから結婚までには話が進みませんでした。

 

オース市での仕事

さて、仕事の方はどうなったかというと…。9か月の契約で雇われたオースのソーシャルオフィス。実はここもNAV合併を数か月後に控えたオフィスでした。自分ではグランでの経験が活かせる、と思ったものの、ふたを開けてみると使っているプログラムからオフィスの組織、方針までグランとはかなり違い、仰天することが多々ありました。まず、クライアント数が70-80人ほどで、フォローアップは他の同僚がやり、私はひたすら生活保護申請書の事務処理。フォローアップしていないと、クライアントさんもどんな事情で生活保護を受けているかも よく把握できません。また、フォローアップをする同僚はクライアントさんの弁護士のようになり、援助するようにプッシュしてきます。オフィス内で一致して働くというよりも、2極に分かれてしまうという あまり良くない流れがありました。そんなことなら、一人の人がフォローアップから申請書の審査までやった方がまだ効率よく、しかも一人が受け持つ人数も半分くらいになっていたでしょう。

ノルウェーの公の機関ではいわゆる「残業」はなく、忙しい時に定時以上働いた場合は 超過時間を時間で返してもらう、つまり休暇などのように仕事をその分休める仕組みになっています。このオフィスでは超過時間はあっという間にみるみる溜まりました。定時が3時半でも、よく7時くらいまでは仕事をしていたからです。この時経験したのは、地方都市の規模の小さい職場では、一人のリーダーのポリシーや職場に染みついている文化・伝統がものすごく左右するということです。おそらく、このやり方に私はちょっと首をかしげることも多く、それも自分の言動に反映されていたのでしょう。でも、NAV合併もからみ、ものすごいストレスが職員全員にあったため、不満があったのは私だけではなかったのです。同じ業務を担当していた同僚などは長期病気休職した後に転職していきました。

さて、年も明けて2009年。4月末までの契約期間まであと少し。

実はグランの同僚からのアドバイスで、契約が切れる半年前くらいからオスロを中心に転職活動をしていました。面接に行くと、かならず「Referanse」と言って私の働きぶりなどを現上司に問い合わせが来ます。この時に応募していたのは、オスロや近郊のNAVオフィス。ただ、オスロで働いた経験がある・なしがかなりポイントとなり、それでぺけになったところも多かったと思います。いくつくらいの求人に応募したでしょうか…。とにかく、面接には複数回たどり着けても一向に決まりませんでした。オースでも辞めた同僚の後に求人があり、私も応募しましたが、ぺけでした。理由を聞くと、「あなたはこのオフィスに長く居ないと思ったから」でした。でも、その通りだったかも…。

 

オスロでの新しい仕事

4月の中旬、オスロのガムレ・オスロ (Gamle Oslo)という区での6か月の契約職員に応募しました。この時、実は職にあぶれてしまうかもしれない、と半分覚悟を決めていて、NAVに求職者としての登録も済ませていました。そして、この6か月の契約も長期病気休職中の職員の代行だったので、かなり先は見えなかったのですが…。結果的に「滑り込セーフ」で4月の末に採用が決まり、この時はうれしくて本当に涙が出ました。

さて、採用されたオフィスはガムレ・オスロ区の3つあるソーシャルオフィスの中の「新規クライアント受付」オフィス。以前にも触れましたが、オスロ市は他の小都市と異なり、15に分かれた区がそれぞれ小さな地方自治体の役割をして、市民に向けてのサービスを独自に運営しています。なので、同じオスロ市といっても区によって組織やポリシーが少しずつ異なります。ガムレ・オスロオスロ中心部の東に位置し、昔から移民などが多く、おのずと生活保護を受ける方の割合も高いという感じです。同じ区にソーシャルオフィスが3つあるというだけでも、業務量がかなり多いのを意味しています。こちらも実はNAV統合前の段階で、「Dデイ」まで8・9か月前だったと思います。業務内容は、やはり書類審査が中心ですが、新規受付とあり、本当に様々な状況の方々に遭遇しました。ほとんどの方が長期支援が必要とみなされ、他の2つのオフィスのいずれかに転所の手続きを取ります。

グランやオースに比べると規模も大きく、しかもオスロ市が独自に決めた様々な規定なども覚えなければならず、同じソーシャルオフィスとはいえ、最初は仕事を覚えるのも大変でした。嬉しかったのは、給与のアップです。と、いうのもオスロ市は独自の給与設定のシステムで、他の市よりも初任給も高い設定になっているのです。(おそらく生活費も他市より高いためではないでしょうか)

 

フラット購入に挑戦

こちらは不動産はほとんど必ず価値が上がっていくので、不動産購入は比較的一般的です。よく言われているのは、「賃貸だと、窓からお金を捨てているようだ」ということ。ローンの利子の部分も税金控除の対象となることから、定職があるなら、買った方が得なのです。初めはやはり独身で一人で不動産を購入するのは抵抗があったものの、先を考え 購入しようと決め、せっせと貯金をしていました。(一般的に銀行の人が言うのは、年収x3倍がローン可能金額、というもの。)感謝だったのは、まだ契約職員だった私でもローンを出してくださったカルモイの銀行。担当の方も教会がらみで知り合いでしたが、私が収入にあぶれないとポジティヴに判断してくださったのでした。

それから、不動産購入のシステムや選び方も自分なりに研究。月額いくらのローンなら自分が払っていけるのか、ボーレッツラーグにサムアイエ*2や、月々の管理費(家賃、含まれるのは建物にかかる保険や共同のローンの返済金など)がどうなっているのか、など。そして、こちらの中古物件はそれぞれが購入提示金額(Budと言います)を提出した後、オークションのように最高提示金額を提示した人がゲットする(いろいろな理由でいつもこうとは限りませんが)仕組みになっています。

2009年、夏・秋にかけて いろいろな物件を見学しては パンフレットを見て研究していましたが、なかなか手頃な物件もなかったことから、Budを出すまでには至らず。オスロ市内は古い建物でもかなり高価ですし、しかも要リフォーム物件も多いのです。それから、物件が古いと大掛かりな排水管の取り換え工事などもあることで、共同ローン部分がかなり大きくなって管理費も高いところが多かったり。リフォームもこちらは自分でやる人が多いのですが、私にはちょっとハードルが高すぎることから、とりあえず新しめの物件を見ることにしたのです。と、なると、必然的にオスロから出なければなりません…。

2009年の12月、オスロの東隣りのローレンスコーグ市にちょうど築6年くらいの38平米のフラットが売りに出されていました。12月は通常クリスマスムードで一色になり、2週目ともなると、世間が不動産購入どころではない、ということもあり、比較的買いやすい時期なのです。ヴィ―スニング(見学会)に来たのは実は私一人。値段も貯金プラス、ローンで何とか行けそうです。難をいえば、オスロから1キロほど出てしますので、定期券が2倍になること… くらいでしたか。とにかく、冬の暗く、寒いときに フラットに入った時のホッとした感覚が自分でも気に入り、初めてのBud提出…。そして次の日にはあっさりこのBudはアクセプトされて、難なくゲットできたのでした…。2010年の3月に引き渡しです。

 

ネットでの新しい出会い

そして、この年の暮れ。ノルウェー人の女の友人を連れて日本に里帰りというとき、以前にちょっとだけコンタクトがあったKさんからデーティングサイトで再度アクセスです。「いまから日本に行くので、会うのは年が明けてからですね」と言い残し、そしてあまり彼のことは気にもかけずに 日本でお正月をのんびり過ごしていました。このKさん、10月ころにやり取りはあったものの、返事がずっと来なかったので「興味なし」ボックスに入っていた人なのです。私としたら、「なんだろう、今頃になって」とあまりポジティヴなリアクションではなかったのですが…。

 

さて、オスロに戻ってからのシングルライフは何とか仕事でもプライベートでも自分の生活を意味あるものにしていこうと いろいろ頑張ってきました。結婚願望もありましたが、相手は慎重に選びたかったので、もしいい人に会えなければ もう独身で行こうと覚悟のようなものも決めていたと思います。自分がクリスチャンということもあり、やはり同じ信仰を持った人で人間的に良い人・自分に合う人…を希望していたのです。

次回ブログでは様々な変化が起こった2010年から綴っていきたいと思います。ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

*1:ティーンエイジャーのころに集団でいじめにあったりしたことも関係していますが、これはまた違うブログでシェアしたいと思います。

*2:Borettslag は住宅協会と訳せますが、不動産は協会の持ち物で、買うのは居住権という形です。一方、Sameieは全く自分のものとなります。購入時の国に払う費用が低かったり、また団体だといろいろな利点もあるので、ボーレッツラーグはかなりポピュラーな選択です

"Mine 25 år i Norge" ノルウェー生活25年を振りかえって… その3.ハーデランドで

こんばんは。皆さまお変わりありませんか?

日本は全国的に猛暑が続いていますね。先日、実家のクーラー設定温度の件で母とディスカッションとなりました。ちょっと雰囲気が悪くなってしまったのですが、こればっかりは…。でも一度自分の考えを伝えたので、もし万が一の事態が起こったとしても、後悔せずに済みます。知り合いのケア・マネさんいわく、このようなバトルはいたるところで繰り広げられているようです。

ノルウェーでは、「公共交通機関で1mのソーシャルディスタンスが取れない場合のマスクの勧め」が、この月曜からオスロオスロ近郊を中心に始まりました。これは「マスクなんてできない」ノルウェー人にとっては、かなりの飛躍です…。

さて、今日のブログでは引き続きこの四半世紀を振り返る内容です。やっと(?)2007年までやってきました。5年半お世話になった西ノルウェー、カルモイを出て、再び東ノルウェー、ハーデランド地方*1に帰ってきたところからです。

 

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 ノルウェーのソーシャルオフィス

さて、「普通のソーシャルワーカーとして仕事して、成長していきたい…」という希望通りに、オスロから北に70キロほど離れたグラン市のソーシャルオフィスの仕事をいただき、こちらに移ったのが2006年の暮れ。ソーシャルオフィスとはいったいどんなところなのでしょうか?

ソーシャルオフィスは自治体(市)によって運営され、主な業務内容は生活保護の授与と生活保護から他の収入へ移行する支援。ノルウェー生活保護は一時的、かつ最終手段であるという位置づけなことが理由です。もちろん、何らかの理由で仕事に就けない方や、その際に他の公的援助が受給できない方もいるので、その場合は生活保護で老齢年金(67歳)まで暮らす方もいます。その他に、生活一般の問題、トラブルについてのアドバイス、住まいがない方への一時的住居のヘルプや住まい探しのヘルプ。また90年代以降、バブル崩壊後にできた借金相談や収入管理のサービスなどがあります。

お金に関わる業務ですので、かねてからソーシャルオフィスで研修などを受けたクラスメートなどからも「いろいろな脅迫にあった」「暴言を吐かれた」など、かなりネガティヴな話を聞いていました。だいたい新卒でも仕事に就きやすい事業所というのも、実はソーシャルオフィスなのです。ただ、ネガティヴな面ばかりではなく、ソーシャルワーカーとしてキャリアを積むなら、ここの経験があった方が良いともみなされています。

 

グラン市のソーシャルオフィス

グラン市はオスロから約1時間の地方都市。人口は1万3000人ほどで、林業、農業などが主な産業です。かろうじて通勤圏内なことから、オスロで働く方々もたくさん居ます。また、マイホームを求めて、オスロに仕事を持ちながら越してくる方もいます。言ってしまえば、ほとんどがファミリーで、独身者はマイノリティーです。

さて、ここの当時のソーシャル・オフィス。全部で10人ほどの職員で、当時は市役所内にオフィスがありました。ほとんどが地元か近郊からの人で、長く働いている方々も。ルーティーン的には、朝は8時半に「ブリーフィング」を兼ねたコーヒータイムで始まり、一日の予定を話します。この時、もし精神的に不安定なクライアントさんと面談の予定があれば、それを伝え、他の同僚、またはリーダーが安全のチェックをするという、かなり(今から見ると)安全対策がなされていた職場でした。当時のリーダーも、職員がどう働いているか、とても気にかける方で、働きやすい職場だったと思います。

以前のブログにもお伝えしたNAV*2ですが、実はこの時のオフィスはNAV合併する1年前の課程でした。NAV合併には通常「Dデイ」(ヨーロッパではよくつかわれる表現ですが、第2次世界大戦のノルマンディー上陸から取ってます。)が設定され、その日に向かって 通常業務の他に合併に関するミーティングや新しいプログラムの勉強会なども業務内容に含まれていました。

私が最初に担当したのは麻薬常用者のクライアントなど。彼らは「LAR」(Legemiddalassistert rehabiliteringの略)という、いわゆるリプレイスメントを薬局から毎日もらって飲むことで、クオリティオブライフの向上を目指すというプログラムに参加していました。多くの方が労働能力欠如とみなされる時に国から支給される Uføretrygd、ウーフェーレトリグド(通称ウーフェーレ)で生活していましたが、歯科治療や、その他特別に必要な費用(クリスマスをのお祝いやプレゼントを買うお金など)を生活保護申請していました。日本の現状は詳しくはわかりませんが、このような手厚い対応はないのではないか、と思いながらその方々に接していました。その後少したってから職場内の編成で難民の方々の担当になりました。ここで難民受け入れのシステムについてちょっと。

ノルウェー難民認定されるかたの入り口は2つ。一つは国連経由で(国連の難民キャンプなどで、ノルウェーが引き受ける人数が決まっており、そこから選ばれ来られる方々)で、もう一つはノルウェーに到着後、自ら亡命申請し、ノルウェー国内のキャンプで申請書の承認を受ける場合です。いずれの場合も、ノルウェーの各自治体での受け入れ人数に合わせ、各市に送られます。その際は、市の方は住居などもあらかじめ用意しておくのが通例です。言葉の壁があり、電話通訳などを使いながらの対応。でも、みなさんポジティヴな態度の方々ばかりでした…。

 

ハーデランドでの暮らし

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カルモイとは違い、こちらは内陸…冬はきれいだけど、こんな感じです。

さて、カルモイを離れた後、新しい土地での再出発。生活の方はどうだったかというと…。

引っ越して間もない2月。きっかけは覚えていないのですが、オスロの中心にあるTrefoldighetkirkenの夕方の礼拝に行ってみたところ、なんと最後に通ったキリスト教基礎学の時にメンターとしてお世話になったA.M先生が牧師としてその教会におり、しかも学生時代のクリスチャンのサークルでの知り合いが一人や二人ではなく、かなり複数来ているではありませんか!久しぶりに会う懐かしい顔ぶれにすっかり嬉しくなった私は隔週末にあるこの夕拝にまた絶対来ようと決め、しばらくするとコーヒーを作る奉仕チームにも加わっていました。

実はハーデランド地方はファミリーが多いことから、なかなか地元で友達を作ろうと思っても大変なものがありました。それから、オスロには少数でしたが、昔の知人・友人が残っていました。新しいボランティアやコーラスグループにも入り、週のうち3-4日はオスロにいるという なかなか忙しい生活が約1年続きました。ただ、住まいからオスロまでは往復120キロ。時間とお金がかかります。そんなこんなで、仕事はここに通いながら、グランとオスロの間くらいの場所に新しい住まいを見つけることも検討。実はこの時、一人で住む小さいフラットを購入することも考えたのですが、あまりに買える物件(イコール銀行からローンを出してもらえる金額)が小さい、ということもあり、今すぐには無理だと判明。ただ、あまり通勤に時間がかかったりお金もそれなりにかかることはマイナスと見て、徐々にオスロまたはオスロの近間に引っ越して、そこで転職することも考え始めたのでした。

 

チャンスは突然やってきた

この時の転職活動は、ソーシャルオフィスの経験があることからまさかの一件目くらいで決まってしまいました。私の人生では一番楽な転職活動でした。場所はハーデランドとは反対にオスロの南に隣接したフォッロ、Folloという地域にあるオース市。(そう、現在主人と住んでいる市ですー。何かのご縁ですかね?)しかも、2005-2006に少しかじっていたファミリーセラピーの教育も考慮していただき、給与もアップしたのです。ただ、9か月間の契約、産休の方の代行です。その後どうするか多少の不安はあったものの、オスロに近づくことは私にとっては プライベートの充実であり、やはりこの時はかなりの優先順位でした。

さて、住居ですが、まずフラット購入のための資金作りという目的があったため、それほど高い家賃は払いたくありません。ところが、オスロは2007年あたりから小バブルのような不動産の沸騰で、それに伴い、賃貸の家賃も半端なく高くなっていたのでした。とすると、シャアハウス。何件かシェアハウスや個人宅の地下の間借りなども見に行ったのですが、イマイチ。そこで思い出したのが最後に行った学校のあるFrikirkenshus(フリーチャーチハウス)。ここでは建物の一部を部屋単位*3で貸していたのです。問い合わせると、なんと、一部屋空いているとのこと。家賃は2700クローネ(2万5千円くらい)で光熱費、インターネット込。車があったので、専用駐車場も無料というのはかなり目玉でした。ただ、キッチンや洗面は共同です。そして、部屋の広さが9平米とかなり手狭だったこともあり、借り倉庫もしたので、この費用をいれても3000クローネでおさまり、これ以上安い選択はありません。本当にこの時は、いろいろなことがトントン拍子で前に進んでいったという「数少ない」経験だったかもしれません…。グランの同僚たちともかなり仲良くなっていたので、本当に残念でしたが、将来的にも なぜかこれが一番いい選択だという気がしました。(この第六感が当たったかどうかは次回以降参照ください。)

2008年夏、1年半だけお世話になったグランを離れ、再々出発。

友人の中には30代半ば過ぎにして「え、またヒーベルなの?すごい、よくやるね」という人も居ましたが、目標の貯金額を達成したら出るつもりでしたので、何を言われても気になりませんでした。

さて、グランでとても良かったことの一つは「労働環境のいい職場」に出会えたこと。この後も職場は変りますが、この職場はいろんな意味でずっと記憶に残っています。リーダーがチームワーク作りにたけていたのだと思います。ちなみに、このリーダーは今ではオスロのとある区のお偉いさんになっていますが、やはり手腕リーダーだったので納得です。

私が求めていた、チャレンジはどうなったか、というと…。実はグランでは担当クライアントが30人以下という、かなり恵まれた環境で、一人ひとりにも十分丁寧に接することができたため それほど難しい事態には遭遇しませんでした。しいて言えば、麻薬常用者のクライアントさんの中に、かなり人種差別的な人が居て、嫌な思いをしたこと…くらいですかね。

 

次回のブログではオースでの9か月からいよいよオスロのソーシャルオフィスへ。また、オスロでのシングルライフや初めての不動産購入などについても触れたいと思います。興味のある方は引き続きお読みいただけると嬉しいです。では、また!

 

 

 

*1:主にガラス工場で知られている地方です

*2:Nye arbeids- og velferdsforvaltning

*3:ノルウェーでは部屋の賃貸をヒーベルと言い、おもに学生さんなどが借りる物件です