こんばんは。お久しぶりです。皆さまお変わりありませんか?
9月ももう終わろうとしています。今月は、例えば、ギリシャにある難民キャンプ、Moriaからどのくらい難民を受け入れるかでノルウェーで大きな議論となっていました。(日本のメディアではほとんど聞かないキャンプですが…)
そうかと思えば、月末はまたコロナです。オスロでもコロナが再びまん延傾向になり、なんと今日から公共交通機関ではマスク直用が義務化しました。(と、いってもやっぱりノルウェー人。しない人もたくさんいます。なんでも警察がそこまで取り締まりできないとか。)
日本では先日の有名女優さんの訃報。なんだかこの数か月、自ら命を終わらせることを選択する方のニュースを耳にする気がします。前置きが長くなりましたが、今、実は 本業の方(訳あり若い子たちに関わる仕事)でもこのテーマに関わっていることもあり、今日はいのちについてのトピックです。とてもヘヴィーなのですが…。
クライアントさんからの問いかけ
一人のクライアントさんが最近 強制入院させられました。薬の過剰摂取、つまり自殺未遂です。
ノルウェーでは様々な条件がそろえば、精神的に深刻な状況の患者さんを強制的に入院させることができます。主に、その精神状態が本人や他の人にとって危険を及ぼすかどうか、が判断の基準となります。ただ、ずっと長期で強制的に入院させるのはかなり難しい場合もあります。
また、強制入院か否かというとき、もちろんご家族の意見も聞き入れなければなりませんが、ご家族の希望で強制入院が継続できるかといえば、そうでもないのです。
詳しい診断は精神科の主治医によって行われます。この場合、もちろんご家族と医師の意見が必ずしも一致するわけではないのです。
このような自殺志望のクライアントさんと関わるとき、一職員として できる限りの予防策をすることが義務づけられています。例えば、緊急診療チームへの通報など。人の命や安全に係わることは、守秘義務や本人の意思などは例外扱いとなります。
このケースは今継続中なこともあり、今は一般的な内容にとどめることにします。ただ、このクライアントさんが私にした質問がかなり印象に残り、ずっと考えています。
「あなたたちは私を助けたいでしょうけど、わたしの命を終えたい、という希望はどうなの?」
自殺について
まだソーシャルカレッジに行っていた時のこと。その日の授業は「自殺」がテーマでした。ある教科書を執筆した先生がゲストで招かれ、いきなり彼が日本の自殺事情について話し始めました。クラスの誰かが、生徒の中に日本人がいると(余計なことを)言ってくれたので、私も何か一言発言した記憶があります。そのくらい、日本では自殺者が多いというのが有名で、このテーマの研究には日本の状況もよくつかわれていると。
実はノルウェーでもかなり自殺者が居ます。数はおよそ年間で500-600人、そのうちの三分の二が男性です。*1 団体活動の盛んなノルウェーですので、かなりの数の団体がありますし、もちろん「命の電話」のような電話やチャットも複数あります。
もちろん、日本と比べることはできませんが、人口が少ない国の割には 私の主人の知人などにも 自殺された方は「わりと多い」のが印象です。
自分のいのち…自分のもの?
先のクライアントさんからの問いかけ。そうですね、難しい質問です。でも、実際は誰にも「じゃま」されることなく、命を絶つことを達成している方々もたくさん居る。つまり、本当に自殺を選んで実行したら、他人には助けるすべはないと思います。
おそらく… まったく生きる希望や望みが見えなくなっていて 自殺を選ぶ方は 誰ともつながっていないような 自分はポツンと一人で生きているような感覚を持っているのかもしれません。自分のいのちは 自分で実際はなんとでもできるけど、もし誰かとつながっていたら、自分が居なくなることがどんなに その誰かに痛みや苦痛を与えるか想像できるはずです。言い方を変えると、自分のいのちは自分だけのものではなく、この「誰か」のものでもある…。
でも、こう言うのは 簡単です。今まさに、いのちを終える選択をされようとしている方には全く意味のない言葉に聞こえるかもしれません。
この私のクライアントさんに、本当に理解してもらいたい。「ひとりじゃないよ」ってことを。それが、これからこのクライアントさんに関わる中で私のフォーカスになる気がします。
暗くなり、寒くなるノルウェーですが、またパワーを充電して、ブログに挑みたいと思います。ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
*1:FHI rapporten, Selvmord i Norge - may 2020 より