ハンブルネスのひとりごと

ノルウェー在住のシステミックカウンセラーのブログです

"Mine 25 år i Norge" ノルウェー生活25年を振りかえって… その5.2010-2020年 ダイジェスト

こんばんは、マイユニです。皆さまお変わりありませんか?

今日の日本のニュースを見る限り、まだ心配は残りますが なんとかコロナ状況も上向きになってきているようですね。しかし、ここから私たち海外在住者が自宅検疫なしで入国できる日がいつ来るのか…。

そして、ノルウェーでも14時に首相らの記者会見があり、実は状況は悪くなっているとのこと。このまま収束方向に行かないと、またカフェなどが閉鎖したりする可能性があると…。このニュースを聞いて実はがっくり来ている私でしたが、気を取り直してブログに取り組んでいます。

さて、今年はノルウェーに来て25周年記念ということで、いろいろな出来事をブログで振り返ってきましたが、今回でとりあえずの最終回となります。どちらかというと、やはり初めの15年が一番ドラマチックだったな、と書いてみてしみじみ思う限りです。一方、2010年からはというと…もちろん様々な変化があった年月でしたが、ずっとオスロオスロ近郊に居るので基盤ができた感がありますね。今日はこの10年をテーマ別に一気に振り返ってみることにしました。

 

ネットデイティング卒業へ…

2009年の暮れにコンタクトがあったKさんですが、年が明けた2010年2月に初めてお会いました。初めの印象は、とにかく優しくていい人。彼はシャイでいわゆる「もじもじ」タイプだったので、ちょっとフラストレーションを感じたりしましたが、お茶したり、食事したり(いわゆるデートですね)していく中で、やっぱりお付き合いしてみようとなり、お付き合いしてみるとやっぱりかなり癒し系のいい人でした。私の新居を見に来てくれた母や母の友人にも すっかり気に入られ、その年の暮れには一緒に日本へ行くことになったのです。

それからほどなく結婚の話も進んで行き、なんと2011年夏には長年のネットデイタ―を卒業して、めでたく結婚に至ったのでした。この時のことを振り返ると、やっぱり不思議です…。話が進む時にはこんなに楽に進むものだ、としみじみ思います。以前短い期間お付き合いして結婚につながらなかった二人と比べると、やはり彼は結婚の準備ができていて、「グッド・ハズバンド」の要素が多々ある人。そして何より、お互いに無理せず いろいろなことに合意することができるほど価値観がかなり似ていた、というのも要因だと思われます。タイプとかルックスとかは、これも人ぞれぞれなのですが、ある知人の方のアドバイス、「いわゆる普通のルックスでも、彼にどこかきらりと光って好きな部分があったら、しめたものよ」というのも思いだしていました。まあ、私も普通のルックスなわけで、等身大の相手とはこのことですかね。

結婚とは、日本でいう「ゴールイン」とは逆に新たなに出発だと思っています。私もこの全く他人のKさん、しかも生まれも育ちも母国語も違う人と一緒に人生を共にしてきました。この結婚生活については来年ちょうど10周年を迎えることもあり、その機会にもうちょっと詳しく書いていきたいと思います。

 

複数回のお引っ越し

初めて購入した自分のフラットは2010年3月に引き渡し。やっぱり初めての不動産購入では、チェックが甘かったことで後々トラブルがありました。例えば、不動産やさんから聞いていた「共同駐車場」は、実は24時間以上は停められないと判明。不動産屋さんに確認せど、こういった事実関係を確かめるのは実は買う側の責任ということもあり、仕方なく地下駐車スペースを買い足すことになりました。

それから、この小さな一人暮らし者用のフラットは若い人たちが多く住む関係で、ノルウェー人にありがちな「おうちパーティー」が毎週末にあちらこちらで行われており、私の真下の20代の住人も典型的なパーティー男子*1でした。苦情を言ってもぜんぜん無視され、金・土は夜中の2時・3時までそのガンガン音楽に付き合わされる始末。こうなると、警察に電話を入れるしかなく、(来てくれる時と来てくれない時が在りますが…。) 何十回かけたかわかりません。ご近所さんは自分では選べないので、本当に運が悪いとしか言いようがなかったです。

先述の通り、そうこうするうち結婚することになり、このフラットは1年半ほどで売ってしまったのです。この後も引っ越しは2回続きました。まず、私のフラットを売ってから、Kさんの住んでいた家(コテージですが)に仮住まいとして3か月住み、その間に今の住まいを購入してまた引っ越しです。(この今の住まいも実は欠陥だらけの物件でしたが…。ここでは場所の関係で省略です…。) この時、ノルウェーに住んで16年くらいでしたが、この間にいろいろな事情で引っ越しした回数は15,6回。引っ越しのプロのようになっていましたが、やっぱり住んでいる期間が長くなればなるほど、物も増えるし、大変になっていきますよね。今住んでいる所は年をとってメンテが難しくなるまでは住めると思うのですが…。

 

ソーシャル・オフィス…その後

オスロ市、ガムレ・オスロ区のソーシャルオフィスの契約職員として2009年5月に働き始め、そのまま契約は伸び、最終的には1年半後にやっと正規職員のポストをゲットしました。その間に、ソーシャル・オフィスはNAV*2合併して職員150人、当時の来館クライアントさんは日に300,400人というノルウェーいちを争うほどのマンモスNAVと化しました。

人の移動も激しかったのですが、新規クライアントさん受付の課は「Publikumsmottak」(プブリクムス・モッタ―ク、PM)と改名し、合併に伴い外から来た課長も加わりました。ところが、この課長が私たちのもともとのやり方・働きを無視する傾向があり、しかもソーシャルワークを全く理解していなかったことで、複数の同僚が抗議。3,4年後にはほとんどの同僚が他のNAVオフィスに転職してしまうという事態になりました。残された私もストレスで燃え尽き症候群手前の状態となり、数か月休職。この病気休職がもとで、他の部署に移転願いを出し、同じNAVオフィスの長期利用者さんの課に2014年から3年近くお世話になりました。このチームではベテランのソーシャルワーカーがリーダーだったり、同僚も仕事のできる人が多かったことから いろいろなことを学ばせてもらえました。この課での受け持ちはざっと100人ほど。本当に一日があっという間に過ぎてしまうという毎日でした。ただこの頃になると自分をケアする働き方もだいぶ学んでいたので、仕事がたくさん残っていてもオース時代のように夜まで働くということはありませんでした。

ノルウェーは通常、年金から病気休職手当、失業手当に至るまで 自分のこれまでの収入により換算されることもあり、就労していない人は年金なども最低限というシステムになっています。NAVはこれらのお手当を出す機関でもありますので、おのずと「就労第一」主義になっています。逆に言うと、就労すること以外に価値が認められない感じです。そんなこんなで、生活保護受給者は常に就労につながる支援を強制的に受けなければなりません。

まだカルモイにいる2005年に1年間だけファミリーセラピーの基礎の学科を取ったのですが、そこで学んだ「システミック・アプローチ」は本当に「目からうろこ」でもっと勉強したい科目でした。ただ、費用の面*3でも時間の面でも続ける機会にしばらく恵まれず、やっと2年目を取れたのが2013年。NAVのポリシーに以前から疑問を感じていましたが、学べば学ぶほど、自分が希望するクライアントさんへのアプローチの仕方と実際の業務における枠組みにギャップがあり、もっと同じポリシーの職場で仕事がしたい、と思ったのです。

さて、そんなこんなで、「脱NAV」をかけての転職活動を徐々に始めました。が、本当に数年越しの職探しでしたので、いかにモティベーションを高く持ちつつ、頑張れるか…という、またしても自分との闘いだった気がします。そしてかなりの仕事量をこなしながらの転職活動も、なんとか仕事との折り合いをつけて面接に行く時間を見つけなければならず、ハードでした。*4

 

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NAV Gamle Oslo での最後の日。自分のデスクも片付けて、さようなら。

オスロ・レフジ―キャンプ Oslo Mottak から ウングボー Ungbo へ

2016年、オスロ市が新しく難民キャンプを市内で始めるため、職員を募集していました。ファミリーセラピーに直結した職種ではありませんが、新しい職場というのにとても興味があり、更に60%という求人だったため、これで修士論文が書く時間ができる、と思ったのです。(主人にも収入が減る旨了解も取り…) そして、応募者が多数にもかかわらず、正規の職員としてお仕事をいただき、2016年10月末にNAVを去りました。

結論から言ってしまうと、このキャンプに「ちょっとお邪魔した」おかげで、今の職場にお仕事をいただけた…わけです。UDI(外国人管理局)から請け負って2016年に開館したキャンプですが、UDIの方針変更で2018年3月にあっけなく閉館となってしまったのです。もともと、このキャンプは当時の担当大臣であったリストハウグさんの案で、「インテグレーションをより速く」というコンセプトのもとに設営された5つの「スーパーキャンプ」の一つでした。つまり、亡命申請した方々のうち、申請が許可されるとみなされる方々を収容してこの時点でノルウェー語コース、職業訓練コースに通ってもらって、許可後にはスムーズに社会に適応してもらおうという趣旨だったのです。ただ、国側もオスロにこのキャンプがあることの弊害を徐々にキャッチしたと思われ、上手く行っていたにも関わらず閉鎖を余儀なくされたのです。

さて、60%とはいえ、正規の職員だった私なので、こういった職場の閉鎖にともなっては一定の権利があります。「自分で転職活動をする」という条件付きで、それでも職にあぶれる場合は近い部署から転所できるかどうかを調べてもらいます。まずは同じセクションや部門から。それでも空きがなかったり、自分が適正と認められない場合は、オスロ市全体で探してもらいます。他の同僚がNAVに紹介されるなか、実は自分もNAVに回されるのではないかという一抹の不安はあったのですが、本当に偶然にも以前仕事に応募していたUngboに空きポストがあるということで、所長ら二人から面接を受け、めでたく「引き取って」もらえることになったのです。なんだか、自力でゲットした仕事ではないものの、ここにも(クリスチャン的思考でいう)「導き」があったのかなあ、と思わずにはいられませんでした。そして、この職場でも去年2月からチーム To Skritt Fram (2歩前進という意味)にチーム変更していただくことができました。*5 こちらのチームでは同じファミリーセラピーを学んだ「先輩」たちが2人、と仕事の姿勢や考え方もNAV同僚とは全く違っています。学んだことも活かせるし、もしかしたら、定年まで働けそうな職場かもしれません。

 

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現在、遊園地の隣の住宅街に住んでいますが、冬はこんな感じ。

 

さて、ノルウェーにいる間に20代の若いおネエチャンから50近くのおばちゃんになってしまいましたが、そうですね。後悔はないかな。昔、Mさんから言われたように ノルウェー語という外国語で勉強したり仕事をしたりすることで日本語でやるのと比べて ハンデがないと言えば 嘘になります。実際、私がお仕事をさせてもらった場所を見るとほとんどが難民や移民がクライアントさんとなっているところが多いです。でも、自分の日本人的な労働モラルや仕事に対する真摯な姿勢、正確性などはおそらく周りの方々にはポジティヴに映っているに違いありません。

他の国に比べ、「肌の色」での差別は感じたことはありませんが、人によっては外国人に懐疑的であったり、冷たかったりするのは事実です。それから、異文化バックグラウンドがあることで、仕事におけるチャンスはノルウェー人(で私と同じくらいの知識・経験がある人)とくらべると制限があるかもしれません。もちろん、こんな現状は嬉しいことではないのですが、憂いていても状況が変わるわけではなく…。変えられるのは、状況に対する自分の反応でしょうか。前向きに頑張っていたら、不公平をする人が居たとしても、別なところに評価してくれる人は必ず居る…、というのが持論です。

6月から(思いのほか)長く続いてしまったシリーズですが、ここまでお付き合いいただいてありがとうございました。また次回からは新たなトピックを探してできるだけ読んで意味のある「ひとりごと」を綴りたいと思います。では!

 

(追記:自分の表現不足で伝えたいことがちゃんと伝わらなかったりしたこともあり、ちょこちょこ手直しいたしました。ノルウェー、9月13日)

 

 

*1:5月25日付のルスのブログ参照。本当にこの迷惑加減は日本ではそうそうないですよ

*2:総合福祉事務所 、12月15日のブログ参照

*3:こういった専門的なコースは国からの助成金がないこともあり、学費が年30-40万ほどかかります。そして、このコースはスーパーバイジングの中で会話の訓練をするので、スーパーバイザーの費用も別途必要です。

*4:新しい仕事を見つけてから辞めることで、履歴書に穴を作らないことが重視されます。

*5:去年の10月27日のブログ参照