みなさんこんばんは。いかがお過ごしでしょうか?
これまで暖冬なノルウェー首都圏です。まだちらりとしか雪も見ておらず、根雪もないので11月の末となるとますます暗さが増します。雪があると、街灯に反射してほわんと周囲も明るくなるのですがねー。
先日、私の職場の方で久しぶりに「学術ミーティング」(なんだか訳すとすごい内容に聞こえますが… 事業内容に関係のあるテーマをブラッシュアップするために行われる勉強会です。)がありました。人種差別問題のために働いているNPOの方をゲストに迎え、テーマは「日常的人種差別」(Hverdags rasisme)でした。この会議ではゲストより、私たち参加者から様々な発言があるという、なかなかヒートした場となりました。人種差別は日本ではあまり聞かない課題ではありますが、今日はこのミーティングからちょっとシェアさせていただこうと思います。
ノルウェーと移民の歴史*1
ノルウェーは他のヨーロッパ諸国に比べると 移民の歴史はまだまだ浅い方です。と、いうのもこの国自体が北海油田ころまで豊かではなく、アメリカなどに出稼ぎに行く人々も多くいました。北海油田が基盤に乗ったころ、70年代後半になると逆に労働者不足となり、最初に移民として来たのがパキスタンの方々です。そのころはこちらに移住するのは簡単だったといいます。移民の増加に伴い、今のように滞在許可や労働許可の制度が整えられました。今は国連経由で来られる難民や亡命者を含め、様々な外国人が移住してきており、福祉国家の手厚い支援もあるためにノルウェーを移住先、亡命先に選ぶ人々も居ます。ノルウェーで一番多い移民は実はスウェーデン人なのですが、ヨーロッパからの移民や北米大陸からの移民に対する差別はあまりメディアで見聞きしません。差別問題はというと、やはり肌の色や文化が異なるアジア・アフリカの方々が対象です。
クライアントの子たちが受けている差別とは?
さて、学術ミーティングで人種差別を取り上げた背景には、クライアントの子たちのバックグラウンドがあります。大半がアジア・アフリカ系の移民・難民の二世であったり、東ヨーロッパからの出稼ぎで来る方々の子供たちであったり、また親のどちらかがマイノリティーであるため 自分も肌の色が違ったり。
私が受け持ったクライアントの子からも「自分は人種差別を受けている」と聞かされていたことがあります。ただ、それはほんの数人です。ところが今回のミーティングのゲストは毎日のように人種差別を受けている若い子たちから話を聞いているといいます。そのエピソードから会議は始まりました。なんでも、モスリムの子たちが頭につけている被り物(ヒジャブ)を引っ張られたり、この国で生まれ育った子たちが「自分の国に帰れ」と暴言を吐かれたり…など、自分はただその場に居合わせただけで、いきなりノルウェー人からこういった人種差別的攻撃を受けるというのです。もちろん、ノルウェー人一般が人種差別的なわけではないと思います。私自身もNAV(総合福祉事務所)勤務の時にクライアントから暴言を吐かれたことはありますが、生活に困窮している方だったり、また「外国人は自分よりも手厚い手当を受けている」といった間違った認識がある方だったりというのは容易に想像がつきました。つまり、その人自身が問題で苦しんでいるときや 間違った思い込みがある場合に他人を攻撃する言動に出ると思われます。(いじめのメカニズムと同じ感じですね。)
この、差別的な言動をする人自身に何かしら理由がある場合もそうですが、一方では差別されたと訴える側も何かしら理由がある場合もあるのでは…というのがディスカッションされました。つまり、その時の背景・コンテクストに注目してみるということです。
この夏、脅迫的な発言を私に向けた元クライアントの子は両親がアフリカ出身なのですが、彼女はバイト先でもカッとなって物を上司に投げつけたり、自身の言動にもかなり問題があることが多いのです。それで、本人は「人種差別されたからだ」と訴えていたと言います。彼女を解雇したとしたら、それは肌の色ではなく、彼女の問題行動にあったはずです。彼女も問題行動を辞めてみない限り、風当りはおそらく変わらないのではないでしょうか。
ここで場がヒートしたのは、はやり何が人種差別で何が違うかを見極めなければいけないことや、私たちがこの子たちにどう対応するかというディスカッションでした。肌の色に限らず、悪いことをしている人を注意したりするのは当然だし、それで「人種差別だ」と言われるのも間違っています。
理由もなく被害を受けた子たちの話を聞いてあげる、慰めてあげる事はもちろん、私たちの役目なのですが こういったひどい人々がいるこの世の中に対して後ろ向きな態度を取るのも極端です。「こんな世の中、大嫌い」と言って社会に背を向けてしまったら、どうやって自立した生活を送れるようになるのでしょうか。少なくとも、私たち支援する側は こんな世の中でも自分の夢や希望を見失わずに、目標を達成してほしいし、その方向に助言していくべきです。そういう子たちがよく反社会的勢力にリクルートされてしまうという問題もある中、このバランスが課題です。
私自身の体験
うちの職場は3分の1くらいが、ルーツがアジア・アフリカ系の2世であったり、自分の代で移住してきた人々の構成です。その他、白人ノルウェー人の同僚の中には、アフリカ系のパートナーとの間にお子さんがいたり、また国際結婚されていたりする人も居ます。こんなわけで、人種差別問題はかなり「自分自身に関わるイシュー」といった感じで、発言者も多く皆が熱心にディスカッションしたミーティングになったのかも知れません。
先の例のように、明らかに悪意があって、人を傷つける目的で吐かれる暴言なら人種差別とわかるのですが、善意があって言われた言葉も 取り方によっては「差別されている」と感じる人がいるもの事実です。例えば、「あなた、ノルウェー語が上手いわね」と言われる時。先のNPOの方は、なぜか「差別している例」でこの発言を取り上げました。私自身の体験でも、これは何百回となく聞いているフレーズです。でも、これは善意で発せられた言葉だといつもとらえています。同じフレーズでも言われた時の状況や言われた時の言い方などでも もちろんとらえ方は変わってきてしまうのですが…。ただ、このフレーズを発せられる時、そこにマジョリティー(多数民・ノルウェー人)とマイノリティー(少数民・外国人)の違いをはっきり区別させられるし、誰かが誰かを褒める行為というのも、結構「上から目線」の時が多いため、私はこのフレーズは好きではない…と発言しました。このフレーズは 良かれと思って言われていても、私からすると相手と自分の立ち位置の違いをはっきり見せられるという意味で、「インクルーシヴ」(私もあなたも同じところに立っている仲間だ、というような態度)なフレーズには感じ取れないということです。
ただ、過去には外見的にもっと違ったら、もっとまともな扱いを受けたかも…と、思う事もありました。それは、こちらの「アジア人女性」に対するイメージがあるかと思います。アジア人女性って、悪い扱いをされても我慢したり、おとなしいイメージがあるため、先の例ですが それにつけこんで 鼻であしらうような人もたまに遭遇します。それは、白人ノルウェー人に限らないかもしれません。
Rasisme kort (ラシスメ・コット - レイシズム・カード)
ディスカッションが最も白熱したのが、このRasisme kortという言葉についての賛否両論。カードは「切り札」という意味でよく使われる言葉ですが、このレイシズム・カードの意味は私たち非白人の外国人が相手の対応を「人種差別的だ」と訴えることで、何かをゲットするために使われる切り札という意味です。ミーティングではこの言葉を使用することに反対なグループと、賛成のグループに分かれました。反対派の理由は、この言葉自体がひとつの支配的フレーズ*2として白人ノルウェー人によって生み出された言葉からだ、というのです。この賛否両論についてはさておき、確かに私も不当と感じられた扱いに対して、「これって人種差別的扱いじゃないんですか?」と抗議したことが過去に数回あります。この結果どうなったかというと、相手がびっくりしていきなり態度が変わったことを覚えています。態度を改めてくれて、敬意を払ってくれたのは良かったかもしれませんが、「人種差別者」と呼ばれるほどショックなことはないかも知れない…と、今ではちょっと反省しながら思うのです。それに、不当に感じられた事柄だって、たいしたことではなかったかもしれません。(何だったかもよく覚えていない…)
さっきの元クライアントさんのように、このカードを意図的に使うことで自分の言動を正当化していたら、結局バイト先と上手くいかなかったりを繰り返してしまって、前に進めないのかもしれません。そういう意味では、「このカードを使っちゃだめだよ」と助言してあげることも必要なのかもしれません。
まとめ
今日は職場のミーティングからオスロで若い子たちが受けていると感じている毎日の人種差別について綴ってみました。ディスカッションしていた同僚たちの多くが、同じように移民・難民の2世であったり、どちらかの親がアジア・アフリカ系であったり。でも、さまざまな経験をしているようでした。
同僚たちがみんなで納得した結論は、このクライアントの子たちに寄り添って支援することの大切さ。そして、こういった現状の中でもいかにこの子たちに建設的に助言や励ましをすることができるか…などなどでした。ただ、日本で生まれ育って、「祖国」というものがある私にとってはノルウェーで受ける差別的な扱いにも 強く立ち向かえるかもしれません。だって、自分の言葉や文化が他にあることが救いになっていますから。一方、生まれて育って、自分の国だと思っているノルウェーで外人扱いされたり、差別されたりの方がよっぽど応えるのではないかと思ってしまいます。
ノルウェーではアメリカでよく言われるようにただの肌の色の違いということよりも、文化的・習慣的な違いが注目されているような気がします。みなさんはどう感じられましたか?今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました!