ハンブルネスのひとりごと

ノルウェー在住のシステミックカウンセラーのブログです

"Mine 25 år i Norge" ノルウェー生活25年を振りかえって… その3.ハーデランドで

こんばんは。皆さまお変わりありませんか?

日本は全国的に猛暑が続いていますね。先日、実家のクーラー設定温度の件で母とディスカッションとなりました。ちょっと雰囲気が悪くなってしまったのですが、こればっかりは…。でも一度自分の考えを伝えたので、もし万が一の事態が起こったとしても、後悔せずに済みます。知り合いのケア・マネさんいわく、このようなバトルはいたるところで繰り広げられているようです。

ノルウェーでは、「公共交通機関で1mのソーシャルディスタンスが取れない場合のマスクの勧め」が、この月曜からオスロオスロ近郊を中心に始まりました。これは「マスクなんてできない」ノルウェー人にとっては、かなりの飛躍です…。

さて、今日のブログでは引き続きこの四半世紀を振り返る内容です。やっと(?)2007年までやってきました。5年半お世話になった西ノルウェー、カルモイを出て、再び東ノルウェー、ハーデランド地方*1に帰ってきたところからです。

 

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 ノルウェーのソーシャルオフィス

さて、「普通のソーシャルワーカーとして仕事して、成長していきたい…」という希望通りに、オスロから北に70キロほど離れたグラン市のソーシャルオフィスの仕事をいただき、こちらに移ったのが2006年の暮れ。ソーシャルオフィスとはいったいどんなところなのでしょうか?

ソーシャルオフィスは自治体(市)によって運営され、主な業務内容は生活保護の授与と生活保護から他の収入へ移行する支援。ノルウェー生活保護は一時的、かつ最終手段であるという位置づけなことが理由です。もちろん、何らかの理由で仕事に就けない方や、その際に他の公的援助が受給できない方もいるので、その場合は生活保護で老齢年金(67歳)まで暮らす方もいます。その他に、生活一般の問題、トラブルについてのアドバイス、住まいがない方への一時的住居のヘルプや住まい探しのヘルプ。また90年代以降、バブル崩壊後にできた借金相談や収入管理のサービスなどがあります。

お金に関わる業務ですので、かねてからソーシャルオフィスで研修などを受けたクラスメートなどからも「いろいろな脅迫にあった」「暴言を吐かれた」など、かなりネガティヴな話を聞いていました。だいたい新卒でも仕事に就きやすい事業所というのも、実はソーシャルオフィスなのです。ただ、ネガティヴな面ばかりではなく、ソーシャルワーカーとしてキャリアを積むなら、ここの経験があった方が良いともみなされています。

 

グラン市のソーシャルオフィス

グラン市はオスロから約1時間の地方都市。人口は1万3000人ほどで、林業、農業などが主な産業です。かろうじて通勤圏内なことから、オスロで働く方々もたくさん居ます。また、マイホームを求めて、オスロに仕事を持ちながら越してくる方もいます。言ってしまえば、ほとんどがファミリーで、独身者はマイノリティーです。

さて、ここの当時のソーシャル・オフィス。全部で10人ほどの職員で、当時は市役所内にオフィスがありました。ほとんどが地元か近郊からの人で、長く働いている方々も。ルーティーン的には、朝は8時半に「ブリーフィング」を兼ねたコーヒータイムで始まり、一日の予定を話します。この時、もし精神的に不安定なクライアントさんと面談の予定があれば、それを伝え、他の同僚、またはリーダーが安全のチェックをするという、かなり(今から見ると)安全対策がなされていた職場でした。当時のリーダーも、職員がどう働いているか、とても気にかける方で、働きやすい職場だったと思います。

以前のブログにもお伝えしたNAV*2ですが、実はこの時のオフィスはNAV合併する1年前の課程でした。NAV合併には通常「Dデイ」(ヨーロッパではよくつかわれる表現ですが、第2次世界大戦のノルマンディー上陸から取ってます。)が設定され、その日に向かって 通常業務の他に合併に関するミーティングや新しいプログラムの勉強会なども業務内容に含まれていました。

私が最初に担当したのは麻薬常用者のクライアントなど。彼らは「LAR」(Legemiddalassistert rehabiliteringの略)という、いわゆるリプレイスメントを薬局から毎日もらって飲むことで、クオリティオブライフの向上を目指すというプログラムに参加していました。多くの方が労働能力欠如とみなされる時に国から支給される Uføretrygd、ウーフェーレトリグド(通称ウーフェーレ)で生活していましたが、歯科治療や、その他特別に必要な費用(クリスマスをのお祝いやプレゼントを買うお金など)を生活保護申請していました。日本の現状は詳しくはわかりませんが、このような手厚い対応はないのではないか、と思いながらその方々に接していました。その後少したってから職場内の編成で難民の方々の担当になりました。ここで難民受け入れのシステムについてちょっと。

ノルウェー難民認定されるかたの入り口は2つ。一つは国連経由で(国連の難民キャンプなどで、ノルウェーが引き受ける人数が決まっており、そこから選ばれ来られる方々)で、もう一つはノルウェーに到着後、自ら亡命申請し、ノルウェー国内のキャンプで申請書の承認を受ける場合です。いずれの場合も、ノルウェーの各自治体での受け入れ人数に合わせ、各市に送られます。その際は、市の方は住居などもあらかじめ用意しておくのが通例です。言葉の壁があり、電話通訳などを使いながらの対応。でも、みなさんポジティヴな態度の方々ばかりでした…。

 

ハーデランドでの暮らし

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カルモイとは違い、こちらは内陸…冬はきれいだけど、こんな感じです。

さて、カルモイを離れた後、新しい土地での再出発。生活の方はどうだったかというと…。

引っ越して間もない2月。きっかけは覚えていないのですが、オスロの中心にあるTrefoldighetkirkenの夕方の礼拝に行ってみたところ、なんと最後に通ったキリスト教基礎学の時にメンターとしてお世話になったA.M先生が牧師としてその教会におり、しかも学生時代のクリスチャンのサークルでの知り合いが一人や二人ではなく、かなり複数来ているではありませんか!久しぶりに会う懐かしい顔ぶれにすっかり嬉しくなった私は隔週末にあるこの夕拝にまた絶対来ようと決め、しばらくするとコーヒーを作る奉仕チームにも加わっていました。

実はハーデランド地方はファミリーが多いことから、なかなか地元で友達を作ろうと思っても大変なものがありました。それから、オスロには少数でしたが、昔の知人・友人が残っていました。新しいボランティアやコーラスグループにも入り、週のうち3-4日はオスロにいるという なかなか忙しい生活が約1年続きました。ただ、住まいからオスロまでは往復120キロ。時間とお金がかかります。そんなこんなで、仕事はここに通いながら、グランとオスロの間くらいの場所に新しい住まいを見つけることも検討。実はこの時、一人で住む小さいフラットを購入することも考えたのですが、あまりに買える物件(イコール銀行からローンを出してもらえる金額)が小さい、ということもあり、今すぐには無理だと判明。ただ、あまり通勤に時間がかかったりお金もそれなりにかかることはマイナスと見て、徐々にオスロまたはオスロの近間に引っ越して、そこで転職することも考え始めたのでした。

 

チャンスは突然やってきた

この時の転職活動は、ソーシャルオフィスの経験があることからまさかの一件目くらいで決まってしまいました。私の人生では一番楽な転職活動でした。場所はハーデランドとは反対にオスロの南に隣接したフォッロ、Folloという地域にあるオース市。(そう、現在主人と住んでいる市ですー。何かのご縁ですかね?)しかも、2005-2006に少しかじっていたファミリーセラピーの教育も考慮していただき、給与もアップしたのです。ただ、9か月間の契約、産休の方の代行です。その後どうするか多少の不安はあったものの、オスロに近づくことは私にとっては プライベートの充実であり、やはりこの時はかなりの優先順位でした。

さて、住居ですが、まずフラット購入のための資金作りという目的があったため、それほど高い家賃は払いたくありません。ところが、オスロは2007年あたりから小バブルのような不動産の沸騰で、それに伴い、賃貸の家賃も半端なく高くなっていたのでした。とすると、シャアハウス。何件かシェアハウスや個人宅の地下の間借りなども見に行ったのですが、イマイチ。そこで思い出したのが最後に行った学校のあるFrikirkenshus(フリーチャーチハウス)。ここでは建物の一部を部屋単位*3で貸していたのです。問い合わせると、なんと、一部屋空いているとのこと。家賃は2700クローネ(2万5千円くらい)で光熱費、インターネット込。車があったので、専用駐車場も無料というのはかなり目玉でした。ただ、キッチンや洗面は共同です。そして、部屋の広さが9平米とかなり手狭だったこともあり、借り倉庫もしたので、この費用をいれても3000クローネでおさまり、これ以上安い選択はありません。本当にこの時は、いろいろなことがトントン拍子で前に進んでいったという「数少ない」経験だったかもしれません…。グランの同僚たちともかなり仲良くなっていたので、本当に残念でしたが、将来的にも なぜかこれが一番いい選択だという気がしました。(この第六感が当たったかどうかは次回以降参照ください。)

2008年夏、1年半だけお世話になったグランを離れ、再々出発。

友人の中には30代半ば過ぎにして「え、またヒーベルなの?すごい、よくやるね」という人も居ましたが、目標の貯金額を達成したら出るつもりでしたので、何を言われても気になりませんでした。

さて、グランでとても良かったことの一つは「労働環境のいい職場」に出会えたこと。この後も職場は変りますが、この職場はいろんな意味でずっと記憶に残っています。リーダーがチームワーク作りにたけていたのだと思います。ちなみに、このリーダーは今ではオスロのとある区のお偉いさんになっていますが、やはり手腕リーダーだったので納得です。

私が求めていた、チャレンジはどうなったか、というと…。実はグランでは担当クライアントが30人以下という、かなり恵まれた環境で、一人ひとりにも十分丁寧に接することができたため それほど難しい事態には遭遇しませんでした。しいて言えば、麻薬常用者のクライアントさんの中に、かなり人種差別的な人が居て、嫌な思いをしたこと…くらいですかね。

 

次回のブログではオースでの9か月からいよいよオスロのソーシャルオフィスへ。また、オスロでのシングルライフや初めての不動産購入などについても触れたいと思います。興味のある方は引き続きお読みいただけると嬉しいです。では、また!

 

 

 

*1:主にガラス工場で知られている地方です

*2:Nye arbeids- og velferdsforvaltning

*3:ノルウェーでは部屋の賃貸をヒーベルと言い、おもに学生さんなどが借りる物件です