ハンブルネスのひとりごと

ノルウェー在住のシステミックカウンセラーのブログです

"Mine 25 år i Norge" ノルウェー生活25年を振りかえって… その4.オスロのシングルライフ

こんばんは。先週金曜日はクライアントさんとのアポもなく、安倍首相の記者会見をネットで見ることができました。これから日本は誰がリードするのか、本当に注目ですね。

その職場では、これまでは「一人ひとりコロナ対策を守って」かなり自由にテレワークとオフィスを選べていたのですが、今週からテレワークを一人あたり50%に義務づけというお達しがあり、「え、今頃?」というリアクションも多い中、新しい働き方にチャレンジです。

さて、今回のブログでは(まだ終わらない)25周年企画の続編です。またハーデランドを離れ、オスロに戻った頃の私のシングルライフを中心に綴りたいと思います。

 

独身で彼氏なし。またオスロで9平米の一間(ヒーベル)暮らしを始めたのは30半ばをとっくに過ぎた2008年夏でした。行政に携わるソーシャルワーカーとしてもまだ駆け出し。このころ一番の課題は孤独・孤立を防いでどうやって意味のある毎日を過ごせるか、どうやって「ないものねだり」や他人を羨ましいと思わずに自分の置かれている状況を好きになれるか、でした。グランの時に始めたコーラスやボランティア活動でも新しい友達ができたものの、自分から声を掛けないとあっという間に「ぽつねん」となってしまいます。若いころはあまり結婚は意識してなかったのですが、このころになると結婚して家庭を築く友人も増え、焦ってはいないと思いつつも、「自分も人生の伴侶が欲しいなあ」という希望が大きくなりました。なんていうか、時間、お金、労力を自分一人のためだけに使うことが寂しく思われたのです。

 

ネット・デーティング

この希望が浮かんできて「何かしよう」と思ったのは、実はまだカルモイにいる2004年ころ。このころはインターネットで相手を見つけるのはまだまだ「危険なこと」として見られていたのですが、真面目に相手を見つけたい人のための 真面目なデーティングサイト(クリスチャンを対象にしたノルディック全域にまたがるサイトなど)が現れ、私もいち早くこういった場所に出入りしていたのでした。1時間半かけて、休日の土曜日にスタバンゲル(ノルウェー第5の都市)にデーティング相手に会いに行ったことも数回。また、クリスチャンの有志の方が主催していた「ダンス・キャンプ」なる泊りがけのイベントにも1,2回参加。

とにかく、日本では彼氏歴ゼロだった私*1 は異性と知り合いになり、一緒に時間を過ごすことにまず慣れることも目標でした。オスロに戻ったことで、デーティング対象になる方が一気に増え、オスロ以外にも、4時間ほど東にあるスウェーデンヨーテボリのシングルグループにも顔を出していました。(ノルウェーのシングル友人たちの中には、「それってちょっと図々しいんじゃない?」という見解の人も居ましたが。ただ、本当に出会いのチャンスや異性慣れするチャンスを増やしたかっただけです。)「ネットデイタ―」だった7年程の期間でかなりの方と会い、そのうち二人の人と少しお付き合いもしましたが、そこから結婚までには話が進みませんでした。

 

オース市での仕事

さて、仕事の方はどうなったかというと…。9か月の契約で雇われたオースのソーシャルオフィス。実はここもNAV合併を数か月後に控えたオフィスでした。自分ではグランでの経験が活かせる、と思ったものの、ふたを開けてみると使っているプログラムからオフィスの組織、方針までグランとはかなり違い、仰天することが多々ありました。まず、クライアント数が70-80人ほどで、フォローアップは他の同僚がやり、私はひたすら生活保護申請書の事務処理。フォローアップしていないと、クライアントさんもどんな事情で生活保護を受けているかも よく把握できません。また、フォローアップをする同僚はクライアントさんの弁護士のようになり、援助するようにプッシュしてきます。オフィス内で一致して働くというよりも、2極に分かれてしまうという あまり良くない流れがありました。そんなことなら、一人の人がフォローアップから申請書の審査までやった方がまだ効率よく、しかも一人が受け持つ人数も半分くらいになっていたでしょう。

ノルウェーの公の機関ではいわゆる「残業」はなく、忙しい時に定時以上働いた場合は 超過時間を時間で返してもらう、つまり休暇などのように仕事をその分休める仕組みになっています。このオフィスでは超過時間はあっという間にみるみる溜まりました。定時が3時半でも、よく7時くらいまでは仕事をしていたからです。この時経験したのは、地方都市の規模の小さい職場では、一人のリーダーのポリシーや職場に染みついている文化・伝統がものすごく左右するということです。おそらく、このやり方に私はちょっと首をかしげることも多く、それも自分の言動に反映されていたのでしょう。でも、NAV合併もからみ、ものすごいストレスが職員全員にあったため、不満があったのは私だけではなかったのです。同じ業務を担当していた同僚などは長期病気休職した後に転職していきました。

さて、年も明けて2009年。4月末までの契約期間まであと少し。

実はグランの同僚からのアドバイスで、契約が切れる半年前くらいからオスロを中心に転職活動をしていました。面接に行くと、かならず「Referanse」と言って私の働きぶりなどを現上司に問い合わせが来ます。この時に応募していたのは、オスロや近郊のNAVオフィス。ただ、オスロで働いた経験がある・なしがかなりポイントとなり、それでぺけになったところも多かったと思います。いくつくらいの求人に応募したでしょうか…。とにかく、面接には複数回たどり着けても一向に決まりませんでした。オースでも辞めた同僚の後に求人があり、私も応募しましたが、ぺけでした。理由を聞くと、「あなたはこのオフィスに長く居ないと思ったから」でした。でも、その通りだったかも…。

 

オスロでの新しい仕事

4月の中旬、オスロのガムレ・オスロ (Gamle Oslo)という区での6か月の契約職員に応募しました。この時、実は職にあぶれてしまうかもしれない、と半分覚悟を決めていて、NAVに求職者としての登録も済ませていました。そして、この6か月の契約も長期病気休職中の職員の代行だったので、かなり先は見えなかったのですが…。結果的に「滑り込セーフ」で4月の末に採用が決まり、この時はうれしくて本当に涙が出ました。

さて、採用されたオフィスはガムレ・オスロ区の3つあるソーシャルオフィスの中の「新規クライアント受付」オフィス。以前にも触れましたが、オスロ市は他の小都市と異なり、15に分かれた区がそれぞれ小さな地方自治体の役割をして、市民に向けてのサービスを独自に運営しています。なので、同じオスロ市といっても区によって組織やポリシーが少しずつ異なります。ガムレ・オスロオスロ中心部の東に位置し、昔から移民などが多く、おのずと生活保護を受ける方の割合も高いという感じです。同じ区にソーシャルオフィスが3つあるというだけでも、業務量がかなり多いのを意味しています。こちらも実はNAV統合前の段階で、「Dデイ」まで8・9か月前だったと思います。業務内容は、やはり書類審査が中心ですが、新規受付とあり、本当に様々な状況の方々に遭遇しました。ほとんどの方が長期支援が必要とみなされ、他の2つのオフィスのいずれかに転所の手続きを取ります。

グランやオースに比べると規模も大きく、しかもオスロ市が独自に決めた様々な規定なども覚えなければならず、同じソーシャルオフィスとはいえ、最初は仕事を覚えるのも大変でした。嬉しかったのは、給与のアップです。と、いうのもオスロ市は独自の給与設定のシステムで、他の市よりも初任給も高い設定になっているのです。(おそらく生活費も他市より高いためではないでしょうか)

 

フラット購入に挑戦

こちらは不動産はほとんど必ず価値が上がっていくので、不動産購入は比較的一般的です。よく言われているのは、「賃貸だと、窓からお金を捨てているようだ」ということ。ローンの利子の部分も税金控除の対象となることから、定職があるなら、買った方が得なのです。初めはやはり独身で一人で不動産を購入するのは抵抗があったものの、先を考え 購入しようと決め、せっせと貯金をしていました。(一般的に銀行の人が言うのは、年収x3倍がローン可能金額、というもの。)感謝だったのは、まだ契約職員だった私でもローンを出してくださったカルモイの銀行。担当の方も教会がらみで知り合いでしたが、私が収入にあぶれないとポジティヴに判断してくださったのでした。

それから、不動産購入のシステムや選び方も自分なりに研究。月額いくらのローンなら自分が払っていけるのか、ボーレッツラーグにサムアイエ*2や、月々の管理費(家賃、含まれるのは建物にかかる保険や共同のローンの返済金など)がどうなっているのか、など。そして、こちらの中古物件はそれぞれが購入提示金額(Budと言います)を提出した後、オークションのように最高提示金額を提示した人がゲットする(いろいろな理由でいつもこうとは限りませんが)仕組みになっています。

2009年、夏・秋にかけて いろいろな物件を見学しては パンフレットを見て研究していましたが、なかなか手頃な物件もなかったことから、Budを出すまでには至らず。オスロ市内は古い建物でもかなり高価ですし、しかも要リフォーム物件も多いのです。それから、物件が古いと大掛かりな排水管の取り換え工事などもあることで、共同ローン部分がかなり大きくなって管理費も高いところが多かったり。リフォームもこちらは自分でやる人が多いのですが、私にはちょっとハードルが高すぎることから、とりあえず新しめの物件を見ることにしたのです。と、なると、必然的にオスロから出なければなりません…。

2009年の12月、オスロの東隣りのローレンスコーグ市にちょうど築6年くらいの38平米のフラットが売りに出されていました。12月は通常クリスマスムードで一色になり、2週目ともなると、世間が不動産購入どころではない、ということもあり、比較的買いやすい時期なのです。ヴィ―スニング(見学会)に来たのは実は私一人。値段も貯金プラス、ローンで何とか行けそうです。難をいえば、オスロから1キロほど出てしますので、定期券が2倍になること… くらいでしたか。とにかく、冬の暗く、寒いときに フラットに入った時のホッとした感覚が自分でも気に入り、初めてのBud提出…。そして次の日にはあっさりこのBudはアクセプトされて、難なくゲットできたのでした…。2010年の3月に引き渡しです。

 

ネットでの新しい出会い

そして、この年の暮れ。ノルウェー人の女の友人を連れて日本に里帰りというとき、以前にちょっとだけコンタクトがあったKさんからデーティングサイトで再度アクセスです。「いまから日本に行くので、会うのは年が明けてからですね」と言い残し、そしてあまり彼のことは気にもかけずに 日本でお正月をのんびり過ごしていました。このKさん、10月ころにやり取りはあったものの、返事がずっと来なかったので「興味なし」ボックスに入っていた人なのです。私としたら、「なんだろう、今頃になって」とあまりポジティヴなリアクションではなかったのですが…。

 

さて、オスロに戻ってからのシングルライフは何とか仕事でもプライベートでも自分の生活を意味あるものにしていこうと いろいろ頑張ってきました。結婚願望もありましたが、相手は慎重に選びたかったので、もしいい人に会えなければ もう独身で行こうと覚悟のようなものも決めていたと思います。自分がクリスチャンということもあり、やはり同じ信仰を持った人で人間的に良い人・自分に合う人…を希望していたのです。

次回ブログでは様々な変化が起こった2010年から綴っていきたいと思います。ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

*1:ティーンエイジャーのころに集団でいじめにあったりしたことも関係していますが、これはまた違うブログでシェアしたいと思います。

*2:Borettslag は住宅協会と訳せますが、不動産は協会の持ち物で、買うのは居住権という形です。一方、Sameieは全く自分のものとなります。購入時の国に払う費用が低かったり、また団体だといろいろな利点もあるので、ボーレッツラーグはかなりポピュラーな選択です