ハンブルネスのひとりごと

ノルウェー在住のシステムズ・カウンセラーのブログです

コロナ、ノルウェーに上陸!

北海道で緊急事態宣言、全国の小中高休校要請。連日のコロナでお疲れであったり、うんざりされている方もいらっしゃるかもしれませんね。

避けられるものなら避けたい、ところですが… 残念ながら、というか、記録の意味も込めて 今日はコロナ・トピックとなります。

 

ノルウェーでは

ご存じのように、イタリアでコロナウィルスが広がっています。そうこうするうちに、実はノルウェーでも この数日の間に「自宅検疫、オスロ近郊で100人」などという ニュースが飛び込んできました。先週はオスロを含むノルウェーの半分くらいの地域が「冬休み」でしたが*1 なんと、先週イタリアにバカンスに行った方々が自宅検疫をしているとのことでした。

そして、今日飛び込んできたニュースは、オスロの大きな大学病院の眼科の職員が陽性になった、とのことでした。この方も実は先週イタリアに旅行に行っていたとのこと。しかも、月曜・火曜と仕事に行っていて 100人以上の患者さんと濃厚接触していた可能性が出てきました。

でも、なぜ自分が「感染地域」に行っていたのに自宅検疫をしなかったのか?詳しいことはわかっていません。ただ、言えるのはノルウェーのお国柄か おそらく「個々の判断」に任されているのでしょう。

 

FHI (Folkehelseinstituttet) 国の健康機関

こちらの国の機関のホームページではコロナウィルスの様々な情報が載っています。海外に旅行する際・帰国後のアドヴァイスも載っていますが、特に必ず自宅で検疫しなくてはならない、ということはなく 最初の14日間は自分の体調を気を付けて見ましょう、程度。あくまで症状が出たら問い合わせをして、基本は自宅療養するように書かれています。容態が悪化した際はかかりつけ医または緊急外来に電話問合せがすすめられています。もともと診察待ちが長かったり、入院ベッド数が足りていないノルウェーですから、重症になるまで 「医療機関には来るな」というメッセージでしょうか。

 

リアクションはいろいろ

今日の「金曜のコーヒー」*2 でも、コロナが話題に上りましたが、日本ほど朝から晩まで報道されていないにもかかわらず、「もうこの話はやめて」という同僚、「職場での対策も考えないと」という同僚も居たりで、かなりいろいろなリアクションでした。

ラジオやテレビで聞くちまたのリアクションも、「大丈夫、ほとんどの人が重症にならないから」という楽観的なものや 「過剰反応するな」というものも。

日本事情を私から見聞きしているうちの主人は 全くノルウェー医療機関はあてにならないし、ノルウェー人の公共エチケットも期待できないので、おそらくまん延するのでは、という予想です。よくその辺中でマスクをせずに咳こんだりしている人は普通に居ます。たしかに、マスクをするなんて(いわゆる、工業用マスクはあるので、大工仕事をしたりする時には普通にしますが)考えられない、というか、ほとんどの人が「未知」のことと感じるているでしょう。マスクを触らない、マスクとは取り換えるもの、などのベーシックな知識もない状態です。

 

さて、今後 本当にこの国の人たちがどうこの状態に対処するか…マスクをする人が出てくるのか、気になるところです。ちなみに、私は今の段階では予防のためのマスクはしません。以前、職場でちょっとしていただけでも 同僚にかなりびっくりされてしまったので。もうちょっと様子を見ることにします。

日本での 学校の休校や外出の自粛などで、経済的にも 他のあらゆる面でも 本当にここ数週間が正念場なのだと思います。状況が少しでも早く好転しますように お祈りします。

*1:実は毎年2月・10月にそれぞれ「冬休み」と「秋休み」として1週間ずつ 小中高がお休みになるのです。それに合わせ、お子さんがいる親御さん方も休んだりして、小バカンスを楽しみます。

*2:毎週金曜の午後にみんなでコーヒーを飲んだりという、ノルウェーの職場でよくあるリラックスタイムです。

友人Tちゃんを偲んで…

皆さまお元気でしょうか?2月も末になりました。日本が今とんでもないことになっていますね。こちらは遠く離れているものの、うちの母(もし感染したら、思いっきり重症患者になってしまうカテゴリーです。)や家族・友人など、私にとっては他人事ではありません。

ここ1,2週間 「具合が悪い時は仕事を休みましょう」というメッセージとともに、いかにほとんどの方が 無理を押して仕事をしているか、ということも話題になっています。

今日のトピックは実はウィルスではなく、今月初めに亡くなってしまった 同い年の友人Tちゃんです。彼女のご家族から訃報を聞いたのが先週でした。ご家族によると、彼女は年末から体調を崩し、1月中はずっと体調が悪いまま 2月に入り亡くなられたとのこと。詳しい病名などは伺っていませんが、Tちゃんは典型的な頑張り屋の日本人…具合が悪くても仕事に行くタイプでした。

 

いつも居ることが当たり前だと思っていた私

訃報をいただいたとき、かなりショックで体が震えました。そして、思ったことが、なんで里帰りの時に会っておかなかったのか、ということ。とても悔やまれることですが、個人的に声を掛けてもいませんでした。と、いうのも去年の3月の帰国時に会っていて、その前、その前の帰国時にも会っていたので なんとなく「次回でもいいかな」と、考えてしまっていたのです。もちろん、今回はうちのもろもろの件が優先だったこともあり、(彼女と会うために)都心に出かけるのもちょっとしんどいと感じていたこともあります。でも、毎回会っていたから…ということが 彼女がいつも居るという感覚になっていたのでしょう。

いずれにしても、もし連絡だけでも取っていたら、彼女が入院していたにしても なんらかの励ましの言葉もかけられたでしょう。そんなことも全然知らなかった自分に とっても腹が立ち、がっかりします。

 

Tちゃんほど サービス・マインドな人は会ったことがない

彼女、Tちゃんと知り合ったのは今から30年くらい前、都内にある専門学校に通っている時でした。彼女とはクラスも近かったのですが、入っていたESS(English Speaking Society) を通して親しくなっていきました。彼女はお料理が得意で 人を喜ばすことが大好きな人でした。学校の系列は違ったけど、自分のレストランを出したいと 若いころは夢を語っていました。卒業後、彼女はレストラン系のお仕事をしていて、その後福祉業界に転向。私がノルウェーに来てからは 日本で会うときのみ お互いの近況を伝えあっていたのですが、フェイスブックに参加してからは 彼女のお仕事の様子や 趣味のお料理・お菓子教室の話題、熱を入れていたアーティストなど、かなり頻繁に近況を見ることができていました。

Tちゃんの福祉業界のお仕事はシフト制で、夜勤もかなりあったようです。と、いうのも「夜勤明けで…」という書き込みをよく目にしていたため。転職も数回していたようで、彼女曰く、就労条件が良くないところが多いので 良い条件のところに転職するのは普通とのことでした。それにしても、よく私がFBをチェックする時間、日本時間の午前3時・4時に彼女からフィードバックが返ってきたりしていたので 「いつ寝てるの?」と思ったものでした。

最後に彼女と会った去年の3月も 彼女はかなり調子を崩していましたが、1時間かけてわざわざ都心に出てきてくれ、しかも自分で焼いたケーキも持ってきてくれたのです。その後、FBを見るといただいたケーキの写真があり、なんと ほとんど徹夜で焼いていたとのことでした。

 

今回のウィルスの件とTちゃんのつながり…

ウィルスの拡散とともに、「熱があったり、具合が悪い人は会社や学校を休んでください」という厚労省ガイドラインが伝えられました。一方、FBの書き込みで熱があっても、体調が悪くても「休めないから」と仕事に出ていたTちゃん。私のみならず、他のFB友達にも「休んできちんと直さなきゃダメ」と書き込みされていたのですが。やはり、彼女の職場の環境が人不足などで出勤を余儀なくされていたのでしょう。そして、彼女の他人を思いやる性格も大きな理由だったに違いありません。

このガイドラインが出された時、やはりTちゃんのことを思わずにはいられませんでした。「ああ、こんなガイドラインがもっともっと前から出されていたら」Tちゃんはもしや命を落とすことはなかったのでは…?と。もちろん、ガイドラインだけではなく、政府がもっとプッシュして本当に具合が悪い時に無理せず休める職場環境も整わなくてはいけませんが。そして、コロナウィルスに限らず、本来はどんな感染症でもこのガイドラインがスタンダードになる必要があるのではと思います。

 *  *  *  *  *   

50歳の手前で亡くなったTちゃん。あまりにも早い死です。

いろんな事を彼女の死から教えてもらった気がしています。まず、明日は本当に誰にも分らないということ。今日会える人がいたら、今日のうちに会っておく…または連絡を取る。いつもその人が居ると思ったら大間違いだということ。

それから、普段の体調の管理と、自分の体は自分しか守れないんだということ。もちろん、ノルウェーでは熱があって仕事に出なければならない、ということはありませんが、同じ福祉業界に従事する者として ユーザーさんや患者さんのことを考えて無理をしてしまう兆候があるのは否定できません。

 

もうTちゃんと日本に帰っても会えない、ということがまだ信じられません。残されたご家族にお悔やみを申し上げるとともに、Tちゃんのご冥福をお祈りします。ゆっくり休んでね、そして今までどうもありがとう、Tちゃん。

 

 

(長い休暇を終えて…)ノルウェーの休暇のお話し

こんばんは。ご無沙汰しております。お元気ですか?

1月は4週間の里帰りで、親戚を訪ねたり 実家のもろもろのことで やはり忙しくなってしまい、ブログはお休みしていました。1週間ほど前にこちらに戻り、今やっと時差ボケも取れてきたかな…といった感じです。

さて、今日のトピックですが…「ノルウェーでの労働者の休暇」について書きたいと思います。こちらで就職してから日本に里帰りした際に「こんなに休んで大丈夫なの?」と家族や友人からよく聞かれていました。休暇の長さはいろいろでしたが、里帰りには大体いつも3週間から長くて4週間休みを取ります。私は公の機関で2001年からフルで仕事をしていて、主人は民間の会社で30年以上勤めていますが、二人ともこれまで休暇が取れない、などのトラブルはありませんでした。

 

休暇についての独自の法律 Ferieloven

欧米では一般的に休暇を良く取ることが知られていますよね。日本に住んでいた時も、外資系に努める友人の話を聞いて「へー」と思ったものでした。他の国も似ているかもしれないのですが、ノルウェーは休暇についての独自の法律があります。(Ferieloven, 今の法律は1988に制定されました)この法の目的は、被雇用者の休暇と「休暇マネー」を 保護するというもの。休暇マネーとは、前年の収入の約10パーセントを雇用主からいただける収入です。私のように毎月の給与が固定されている人は6月の給与の代わりに休暇マネーが支給されますが、夫のように時間給があり、給与が労働時間により支給の人は月給プラス休暇マネーが支給されます。ただし、後者は休暇をとることで労働時間が減るわけですから、休暇後の給与はおのずと低くなります。通常、こちらはボーナスがないので、休暇マネーの月はいつもよりも支給額が高くなり、ちょっと嬉しい月でもあります。ちなみに、転職をしても前雇用主からちゃんと休暇マネーが支払われる仕組みになっています。

この休暇法では雇用主は年間25就業日の休暇を労働者に取らせるようにしなければならない、とあり、労働者もまた年の間に休暇を消化しなければならない、とあります。私の場合は、25就業日を消化しないで、よく次の年に繰り越したりしています。

 

休暇法だけではなく…カルチャーの問題でもある?

私の勤めるオスロ市ですが、大多数が休暇を取る6月―8月の夏の3か月は連続休暇はマックス3週間までという規定があります。それから いくら休暇を取る権利があっても、やはり雇用主と同意の上で 休暇の時期や長さも決めなければなりません。

特に7月は "Joint holiday"、多くの人が一斉に休暇に入る月でもあり、ノルウェー全体が(さらに)スローペースになります。クローズする事務所もありますし、あちらこちらで「低キャパシティー」状態となります。医療機関などはさすがに、代行の医者や職員を雇うのですが、私のこれまで務めてきた職場などでは 人手不足となるため、あの手この手で 休暇時期を乗り越える対策をしています。

ユーザー、お客さんの立場とすれば、ことが運ばないのでイライラもしますが、最終的には「仕方ないなー、休暇の時期だもんなー」という感じで、あきらめムードでしょうか。それから、自分だって休暇を取るのだから、「お互い様」的な感じもあるかもしれません。

 

休むことの意味

日本と比べると、というか、比べてはいけないくらい 労働者の権利がいろいろ保護されているノルウェーではありますが、その代償はやはり 社会が潤滑に回っていかなかったり、効率的・効果的なことがあまり期待できないことではないでしょうか? それは、日本からいらっしゃる方々からよく聞くことでもあります。

本当は「いいとこどり」な、ほどよいバランスの社会がいいのかもしれませんが、私個人的にはノルウェーに残りたかった理由の一つはやはり このスローペース、または「誰にでもついていけるペース」の社会構造かなあ、と思うのです。つまり、「人間、仕事ばっかりじゃなく、休まないとだめだよ。」という思想でしょうか。そこには、日本とはちょっと違った人間観があったり(たとえば、弱者や障害を持った人々に対するもの)、私のような外国人でもあからさまに虐げられずに生活できる社会環境があります。

休暇が保証されていること。実家の母が高齢者となった今、本当に 私にとってはありがたい、必要不可欠なこととなっています。

 

日本でお正月

明けましておめでとうございます!みなさまは昨日の大晦日、今日の元旦はどんな風に過ごされましたか?

私は、というと12月26日から主人と日本に里帰りしています。前回から約9か月ぶりの日本。年末年始の日本は3年ぶりとなります。去年のお正月は普通にノルウェーで過ごし、「やっぱりお正月は日本がいいなあ…」とつぶやいていたので今年はこちらで新年を迎えられて とっても嬉しかったです。日本のお正月の何がいいかというと、やっぱり家族と過ごす大晦日や街の雰囲気でしょうか。昨日は家族と静かに夕飯を食べ、TVでカウントダウンを見ていました。

 

今年の国王・首相のスピーチ 

クリスマスがメインのノルウェーは、元旦は祝日になっていますが その後2日からは通常通りに戻ってしまい、非常にあっさりしています。大晦日もカウントダウンのイベントやTV番組も特になく、ちょっと寂しい感じです。(お隣のスウェーデンでは毎年遊園地でカウントダウンしているのですが…)

それでも毎年伝統になっているのが、大晦日の国王のスピーチと元旦の首相のスピーチです。今年のクリスマスにはマッタ・ルイーズ王女の元夫、アーリー・ベーン氏が自ら命を絶つという 非常に悲しく、センセーショナルな出来事があり、メディアによると国王・首相の両スピーチとも書きかえられたと言います。私たちも国王がどんなスピーチをするか、ちょっと興味深々でした。ノルウェー王室はかなりオープン・庶民化しており、皇太子のシングル・マザーとの結婚なども世界的に話題になったと思います。国王はスピーチの冒頭で、やはり彼の死のことを自分の身内に起こったこととして、かなりパーソナルな感じで話していました。離婚した義理の息子とはいえ、孫たちのお父さんだったベーン氏なので、祖父として孫たちの心のケアのこともちょっと話していました。前回の私のブログでも親の急死を取り上げましたが、自分の親が自ら命を絶ったことは 言葉では表せない痛みがあると察します…。

ノルウェーで「自殺」は、日本ほど多くないものの、深刻な社会現象としてとらえられています。しかし、それとは裏腹に精神的サポートにあてがわれる予算などは減少しており、この出来事を機会にまた予算が見直されるかもしれません。

 

今晩は首相の新年スピーチですが、私たちはその前に就寝するので、また明日チェックしたいと思います。

 

 

父のこと

みなさまこんばんは。日本でも年の瀬とあり、お忙しくお過ごしと思います。

「いよいよ」クリスマスを国民で祝うノルウェーで、みんなが待っている日が明後日となりました。イヴの前日、明日12月23日はこちらで"Lille julaften"(リッレ・ユールアフテン、ちっちゃいクリスマスイヴという意味)と呼ばれ、お茶の間では毎年特別番組でクリスマス料理を作っていたり、豪華ゲストが出演します。ツリーを飾り付けるのもたいていこの日の家庭が多いです。日本の年越しを彷彿とさせます。

今日書いてみようと思ったのは、実はクリスマストピックではなく いたって個人的な、私の家族のストーリーです。というのも、うちの父がこの日に他界してから今年で41年になります。興味がある方は続けて読んでいただけたら嬉しいです。

 

平凡に幸せに暮らしていた家族に降りかかった事故

父は北海道で自営業をしていました。母と結婚して10年、3人の子宝にも恵まれ、本人も30代半ばで、まさに「これから」という人生だったと思います。私は小学校1年生。かなりおませで「しっかりもの」だったので、両親のすることにも口を出していた方でした。そして、たいへん父親っこでした。

12月中旬のある夜、久しぶりに父が母と二人だけで外に出かけました。私の上には兄、下は弟ですが、数時間だからという感じで子供だけでお留守番だったのです。私は両親にうちの鍵を持っていくよう頼み、玄関の鍵を閉めました。ところが、彼らは鍵を持たずに出たため帰宅後うちに入れず、父が2階にあった大きなお風呂場の窓から中に入ろうと試みたところ、滑って頭から落ちてしまったのです。およそ2メーターちょっとくらいの、それほど高くない場所からでした。

次の日の朝、私たちを起こしに来たのは叔父でした。「お父さんが大変なことになっている」「お母さんも病院だよ」と。それから数日後、病院にお見舞いに連れて行ってもらったのですが、父は事故以来意識が戻らず…。結局、数日後にそのまま他界しました。脳挫傷でした。

 

それぞれの痛み…

こちらで行ったソーシャル・ワークの学校では児童心理学の科目もあり、その時に親を亡くすことの子供の精神に与える衝撃・その後の精神的傷などがトラウマになりうる、というのを初めて学びました。子供にとって、親を亡くすのは世界で一番恐ろしいことの一つです。まるで目からうろこのような体験でした。と、いうのも父の死後 私たち家族に起こった出来事と習ったセオリーにオーバーラップするところがあったのです。急死というのも、最後のお別れができなかったり、言い残したことがある場合、さらに痛み・悲しみが増します。

7歳だった私も初めて人の死を目の当たりにしました。体はあるのに、呼んでも答えてくれない状態。冷たく、硬くなった顔。そして、あまりにも急だったので、本当に父がいなくなってしまったことも、すぐには飲み込めません。

悲しい、寂しい、という感情はあとからわいてきました。そして、「なんで?」という疑問詞。なんで父が死んでしまったのか。なんでこんなことが起こったのか。あの時、もし鍵を両親が持っていたら…、もし父が腕や足を骨折するだけで済んでいたら…、など考えは尽きませんでした。

そして、避けられなかったのが、自分自身の行動に対する「なんで?」。「なんであの時うちの鍵をかけてしまったんだろう」と、大人になってからもよく考えていました。鍵さえかけなければ、父は今でも生きていたに違いない。自分も父の死に責任があるのではないか、と。

自分が「しっかりもの」と言われていたことにも とても嫌気がさしました。もし、しっかりしていなかったら、鍵なんかかけなかっただろう…という思いからでした。ナラティブを学んでから、つくづく思うのは、やはり人の人格・アイデンティティーはこういった周りからの言葉で形成されてしまうということ。「しっかりもの」の自分に期待される行動をとっていたと思います。

この時の自責の念からは 30歳を過ぎて短期間参加していたグループセラピーで初めて解放されることとなりました。と、いうのも、グループの参加者みなさんから、「わたしだってそうしたわ。だって、泥棒とか怖いじゃないですか。」といったサポーティブなコメントをいただいたのがきっかけです。そう、そうなんだ。私のとった行動はいたって普通だったのだ。しかも、自分たちを危険から守る行動だったのだ、と。

ちなみに、父の両親にとっても最愛の息子を起こらなくてもいい、こんな事故で亡くしてしまったことも大きな傷となっていました。もちろん、うちの母にとっても、辛い経験が何年も続いたと思います。ただ、本人は私たちを育てるのに必死であまりそこまで考える時間も余裕もなかった…とのことでした。

 

長い月日が経ちました…

冒頭でも書きましたが、もう今年で41年が経ちます。長い年月です。私たち家族はその数年後、母の家族がいる関東地方に移り、現在も実家は関東です。(北海道から関東…これもなかなかハードな体験ではあったのですが、また後日取り上げたいと思います。)母はその後もずっと一人だったので、母子家庭で育ったわけですが、私たち兄弟3人とも学校も行き、普通に社会人になったので、母も安心したそうです。そこへ来るまでにも数々の大変な出来事はありましたし、普通に家族げんかもしていましたが、なんとかみんなで父の死を乗り越えていけました。

たしかに、「時が傷を癒してくれる」という言い回しがあるように、ある程度時間が経つことで人生にもいろいろな変化も起こり、最初のころの辛い感情などもだんだん薄れていきます。でも、こんなに年月が経ってもやはり父に会いたい思いは沸き上がります。父のことを考える時は、「今話ができたら、何を話すだろう」とか、「うちのノルウェー人の旦那のことなんて言うかな」などの想像するのですが、残念ながら、声や立ち振る舞いはもう覚えてはいません。父がいたから、私がこの世に生まれてきたので 自分が彼がこの世に生きていた証拠なんだわ、と思うようになりました。

 

このブログを読んでくださる方の中で、子供時代に親御さんを亡くされるという不幸にみまわれる方がどれだけいらっしゃるかはわかりません。ただ、これを読んでいただくことで、何らかの形でお役に立てれば、と思いました。そんな方がいらっしゃったら、今はお辛いかもしれませんが、きっといろいろなことが 徐々に、しかも良い方向に変わっていくことをお祈りします。

 

毎年、Lille julaftenは、父が生きていたことを記念する日でもあります。そして、クリスマスは私にとって、イエス・キリストを通して神様が表してくれた大きな大きな愛をかみしめ、感謝するときです。

メリー・クリスマス!

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NAV (ナーヴ)「総合福祉事務所」

みなさまこんばんは。お元気ですか?

今日は第3アドヴェントの日曜日です。ノルウェーアドヴェントでは紫が使われていて、うちでも紫色のろうそくを3つ灯しました。さて、先週はノーベルウィークで主にお隣、スウェーデンで連日催し物がありました。ノルウェーはノーベルの遺言により ノーベル平和賞のみを授与していますが、今年は去年ころまであった コンサートも催されず、ちょっと寂しい感じではあります。

ノーベル平和賞の授与式も終わり、第3アドヴェントとなると、いよいよクリスマスムード一色に突入です。今日のトピックはその中で毎日のようにニュースで話題になっている、NAVのことをちょっと書きたいと思います。NAV... ノルウェーに住んだことがある方は多かれ少なかれ見聞きする場所かもしれません…。

 

NAV =  Ny arbeids- og velferdsforvaltning

www.nav.no

NAVとは…簡単に言ってしまうと、公的福祉手当を出してくれるお役所です。たいてい「総合福祉事務所」と訳しています。NAVの「N」は、実はノルウェーのNではなく、「Ny」(新しい)、という意味の単語です。そうです、NAVはもともと3つあった福祉行政の窓口を一つにしよう、という福祉改革の末誕生した機関です。改革(NAV-Reformen)は2006年ころに始まり、数年かかりました。

もともとあった3つのお役所とは、簡単にいうと(1)年金や児童手当、病気休職手当(前回ブログでも書きましたが)を出していた国家機関のオフィス、(2)国立の職業安定所(ここでは様々な理由で長期で仕事に就いていない方々のサポートや援助対策なども行う)と(3)生活保護の市の窓口です。全く異なったこの3つの組織が市(区)ごとに統合するわけですから、本当に大変なプロセスだったと思います。

ちなみに、国から出る手当と市から出る手当では、種類は圧倒的に国の方が多いのですが、その数と言えば…私もすべて把握できているか、どうか。育児手当(親御さんが新生児の育児休暇中にもらうもの。お母さん、お父さん両方もらえます)から始まって、児童手当、ひとり親の手当、病気休職手当、年金、などなど。実は統合当時、国側は窓口も一つにするだけではなく、担当者も一人ですべてこなせるようなサービスを描いていたのですが…一人の人がこれらすべてのお手当をマスターするのは全くもって不可能です。

 

NAV と私…

はい、実はNAVは私が昔お世話になっていた仕事先です。2007年から2016年末まで、トータルで10年近く働かせていただきました。NAVの中でも、生活保護のセクションで 3つの異なる自治体に勤務しました。

丁度、統合政策が始まってちょっと経った頃。最初のオフィスでも統合の準備が進んでいて、二つ目と三つ目の市では実際に統合のプロセスの中で仕事していました。ちなみに、かなり多くの決定が自治体に任されていました。例えば、最初の市では 隣の市と合同でNAVを立ち上げる選択をしていましたし、二つ目の市ではNAVの中に生活保護セクションだけではなく、児童保護事務所も入れる選択をしていました。

実際の職務ですが、おそらく日本の生活保護セクションと同じように、申請してきた利用者さんと面談、事情を伺って、書類を審査・作成するものです。ノルウェー生活保護の法律では、生活保護とは一時的かつ、最後の手段として与えられるお手当ですので、生活保護セクションで働くには他の公のお手当にも精通していなければなりません。統合前までは、仕事が必要な利用者さんなら、その部分の業務は職業安定所にお任せして済む話だったのですが、統合後は自分たちにもそのタスクが課されてしまいました。例えば、利用者さんに職業訓練に行っていただいたり、NAVで管轄している研修に参加してもらったり。そのために各種異なったコンピュータのプログラムもマスターしなければならないし、また他の機関が普段使っている法律も把握しなければなりません。

特に最後に務めたオフィスはノルウェー国内最大というくらいの大きな事務所でしたので、利用者さんの数といい、こなすタスクといい、本当に毎日嵐のように過ぎていました。

 

ノルウェー中で騒いでいるスキャンダル、とは?

さて、日本とはかなり地理的・政治的な事情も違うのですが、ノルウェーではヨーロッパ経済区域内に関する条約を結んでいるので、公的手当などの決まりについてもヨーロッパ経済区域内の法律に従うことになります。

今回のNAVの失態とは、その法律を間違えて理解していたことから、病気休職手当などを受給されていた利用者さん(で、ヨーロッパ内に滞在していた)がNAVから返済請求が来たり、詐欺罪で起訴されていたという話です。(返済ができずに懲役刑を受けた方もいるとのこと)本来はヨーロッパに滞在しながら受給しても合法なのです。

この話がスキャンダルになっていることの理由の一つは、利用者さんと直接会ったりする担当者の中には、「これって間違っているんじゃないか」と問題定義した職員がいたにもかかわらず、上にいる人たちがまったく相手にしていなかった…ということ。

NAVは区や市のローカルオフィスの他にも様々な専門機関ができていて、いまやマンモス組織になっています。それだけ大きな組織となると、なかなか下で働いている職員の声はやっぱり聴けなくなっちゃうんでしょうね。

実はNAV-Reformen、この改革以降、様々なスキャンダルがありました。まず、利用者さん達からのクレームの殺到。職員たちの疲労困憊が利用者さんに対するサービス低下につながり、様々な失態(受け取った申請書・書類の紛失など)を聞くのも日常茶飯事でした。私も実際に二つのオフィスで引っ越しなどを経験したので、そのカオスぶりはすごいものがあったのです。お国がらなのか、どうかはわかりませんが、なんだかノルウェーの人たちって、「とりあえず、やってみよう」精神は良いのですが、やることが長期的かつ綿密に考えられていない気もします。つまり、改革の時も前もって計算されて計画された、というよりは急にいろいろ上からお達しが来てそれになんとか間に合うようにやっていた印象です。

 

私が勤めていたNAVオフィスを離れ3年が経ちました。今の仕事でもこのオフィスと関わることがあるので、昔の同僚たちの懐かしい顔を見ることができます。「もう、うちには帰ってこないの?」と聞いてくれる同僚もいるのですが…。日本語っぽく言うと、「もうNAVは卒業しました」かな?

 

 

ソケイヘルニア 日帰り手術  IN  オスロ 3 ― 手術後の経過

こんばんは!

ソケイヘルニア・トピックも今回で最終回です。今日で手術から11日が経ちました。もう合併症の心配もなくなり、毎日病院からの言いつけを守って生活しています。仕事には来週から復帰ですが、フル復帰はもうちょっと先になりそうです。

さて、前回は手術日当日の様子を書きました。今日は実際の手術法・病院からのお達し・ノルウェーでの病気休職システムについて触れたいと思います。

 

今回の手術―TEP法

前述のLegejournal(レーゲショナール、報告書のようなもの)に手術の詳しいプロセスや使った薬や補強材などが書かれていました。手術法はTEPでした。これは腹腔鏡手術の一つの手法で、主にTEPとTAPPという方法があるようです。実は数日前までアニメーションでこの手法を説明した動画があったのですが、現時点では消去されています。他に実際の手術の様子を見せる動画もあるのですが、あまりにエグイのでここでのリンクはパスいたします。

ソケイヘルニア日帰り手術をされた方々の他のブログには みなさん手術方法をどうやって選ばれたか、など書かれています。私は腹腔鏡手術は初めてだったので、実はとても興味があり 是非この方法で受けてみたい、という強い希望がありました。ただ今振り返ると、正直なところ腹腔鏡手術をちょっと「なめていた」感があったことを認めます。イメージ的にも傷も小さいことから、かなり楽なのではないかという思い込みがありました。やはり、傷は小さくとも手術だったので、体にいろいろダメージがありました。ただ、良かったのは、当初一か所見つかっていたヘルニアの他に大腿ヘルニアという嵌頓しやすいヘルニアも見つけてもらい、処置していただいたことです。Kirurgen.no(外科医.no)というHPでもTEP法のことが書かれていましたが、なんでも検査時に見つからなかったヘルニアを見つけて治療するには大変有効な手術らしいです。(普通の開腹手術では腹部・鼠径部を全体的に見渡すことができないため)

 

術後の自宅療養

病院からのお達しでは普通の動作は痛みが出ない程度に「どんどん体を動かしてください」と言われていました。ただし、最初の4週間、持つのはマックス5キロまで。と、あとはおなかを使う動作は最初の2週間避けてください、とのことでした。おなかを使う動作とは、自転車や腹筋を使う姿勢、トイレでいきんだりすること…だそうです。

痛みについては 当日を除き、ほとんど鎮痛剤をのまずに済みました。が、やっぱり体を動かすとき、動かした後は痛いです。 傷も時々痛かったりしますが、傷よりもおなか全体に痛いことが多い気がします。前もって言われていた「青あざ」も徐々に出現しました。あと困るのはおなかが腫れていて、服がきついことくらいでしょうか。

寝返りも痛くてうてないので、ずっと同じ姿勢で寝ているためにおこる腰痛。おそらく体がちょっと緊張しながら寝ているせいでおこる肩こりや筋肉痛などもあり、体のあちこちが痛い状態です。日本にいたら、温泉に行ってリラックスできるんですけど…

 

病気休職届 Sykemelding - SM

福祉国家ならではのシステムにSykemelding (シーケメルディング、略してSM)というものがあります。これはケガや病気、うつなどの精神的な状態でも ドクターが「仕事をできる健康状態ではない」と判断すると 書いてもらえます。もちろん、自分のしている仕事との兼ね合いもあるので、より体力を使うお仕事の方などはヘルニア手術の場合、長く出ます。もちろん、人それぞれ術後の経過も違うので、初回出してもらったのが足りない場合は執刀医または病院に言って延長してもらえます。

冒頭にも書いたのですが、フルに復職するのは今の時点ではちょっときついものがあるので、病院に部分的にSMを一週間ほど出してもらおうと思っています。一般的にも国では復職を奨励しているので、もしフルで働くのが不安な場合も、ドクターとパーセンテージを相談して部分復職することができます。 

 

今は多くの病院やクリニックでオンライン化していますが、Lovisenbergはなぜかここだけちょっと古くて、昔ながらの書類でSMをいただいてきました。SMはA,B,C,Dの各パートに分かれていて、それぞれ提出先があります。Aは病院から福祉事務所(NAV)に送ってもらうので関係ないですが、雇用者に出すもの(C)と病気休職手当(sykepenger)の申請書(D)は自分で送らなければいけません。残りのBパートは自分の控えです。ノルウェーらしいわ、と思うのは、雇用主に出す書面には病名は書かれておらず、基本的には病名は個人情報で、職場に知らせる義務はありません。職場にはどのくらいの期間休職するか、また復職後の職場側からのケアの必要性のみを知らせる義務があります。

休職手当ですが、最初の16日間は雇用者の負担期間となり、それを超えると国から支払われます。なので長期休職の場合、申請書のDはNAVに提出するのですが、私の雇い主のオスロ市は国が払う分も立て替えるので、Dも雇用者に出すよう書いてありました。そういった雇い主をお持ちの方は病気休職中も働いている時と同じようにお給料が毎月振り込まれるので大変楽ですね。そうでない場合はこの申請部分がスムーズにいかないと、収入が途切れたりしてしまい、困ったことになります。ちなみに、このお手当は52週間収入の代わりにもらえることが保証されています。(収入が一定でなく、上下したりする方々も審査期間がかかったりすることがあります。)

ただ、気を付けなければいけないのは、一度休職するとパーセントに関わらず SM期間のカウントが始まり、完全復職(friskmelding)後26週間経たないうちに また休職届を使うと、前回カウントの期間内となり、自分が知らないうちに52週間というお手当の期間を使い切ってしまう方もいます。そうなったら、いったん病気休職手当は打ち切りとなり、違うお手当を申請することはできるのですが、仮に支給されてもグンとさがって三分の二ほどになります。

 

医療費

そういえば、かかった費用について書いてませんでした。こちらは「自己負担金1」(egenandel)という自分で払う医療費が今年は2369クローネ(現在のレートで約2万8千円)で、私は11月の時点でこれを払い終えていたことから「無料カード」(frikort)をもらっていました。今回の検査や手術はすべて公のシステムを通したので、手術代は無料だったのですが、資材費として千円ほどの請求が来ました。これは使った絆創膏やガーゼなどだと思います。

ちなみに自己負担金には「2」という種類もあって、1はかかりつけ医、心理療法士、病院で行われる各治療や入院など。2は主に理学療法士が該当します。

 

まとめ

これからもしかしてノルウェーでヘルニア治療などを受けられる方も想定して書いてきました。ノルウェーのシステムについてもかなり触れたのでちょっと長めのブログになりましたが…。

経済的なことを考えると、福祉国家ノルウェーの医療や収入保護のシステムは文句なくいいと思っています。ただ、今回はいのちに関わらないような病気だったので不安はなかったものの、やはりこのシステムにも限界・問題点は本当にたくさんあるなあ、と思うところ多しです。もうちょっと日本のように専門医を自分で選んで、いつでも行けるといいのですが。今のところ、それができるのは富裕層に限られています。