ハンブルネスのひとりごと

ノルウェー在住のシステミックカウンセラーのブログです

"Mine 25 år i Norge" ノルウェー生活25年を振りかえって… その2.カルモイのディアコーン時代(前)

こんばんは。いかがお過ごしでしょうか? 前回ブログから10日くらいの間に「日本、どうしちゃったの?」という動きになってきています。こちらでは、「日本人は強制的な政策が要らない 優秀な国民だ」という見方です。ノルウェーでも、スペインにバカンスに行ったのにあちらの感染状況が急に悪化したことで、急きょ帰ってこられた方々も居たようです。コロナ、世界的にまだまだ続きますね…。

独断・偏見の「独り言・ブログ」として書かせていただいています。今日はノルウェー生活が5年半経った、2001年。この年、私の人生がまた大きく進路を変えました。

前回の続きから:2001年春、学生として生活していたノルウェーをいよいよ離れ日本に戻るときが近づいて来ました。ところが、またしてもダメ元で、「働いてみたい、働いた経験が欲しい」という気持ちがふつふつと芽生え、行動に移すに至りました。これまでも夏のバイトなどの就活はしていましたが、フルタイムワークの就活は初めてです。仕事のオファーをいただいた後にワーキング・パーミット(就労ビザ)を申請するという順番です。

当時、学生ビザを取得後、5年間ノルウェーの外に出ていないと就労ビザはもらえないという規定がありました。それは、やはり第3か国からくる学生たちの多くがノルウェーに居残ることを望み、結局「ノルウェーで得た知識を自国に持ち帰る」、という学生ビザの主目的が阻まれるからだ…と、聞きました。ただ、就労ビザを持っていた人の中には「学生ビザから更新した」という人が居て、いわゆる「スキルド・ワーカー」*1 という種類のビザがあるというのを知りました。

 

ノルウェーで就労するということ

先のブログにも出てきたMさん。彼女は翻訳やコーディネーターを営む自営業でした。彼女は実は私がノルウェー語で職業コースを学ぶことも、その後にノルウェー人と肩を並べて働く、ということにも少し懐疑的でした。と、いうのも 「どうやって限界のある外国語で学んだことを、ノルウェー人同様に使いこなして、プロとして働けるのか」という考えだったからです。彼女には日本でソーシャルワークを学びなおすようにも勧められました。私はもともと、そこまで深くは考えておらず(根がおめでたいのでしょう。)考えていたのは1,2年先。ノルウェー社会にどっぷりつかるつもりで仕事を見つける、というよりは 勉強したことを実践しながら数年訓練させてもらいたい、という感じで仕事をしようと思っていました。Mさんは外国人がこの国で働いていく厳しさを体験されていたと思います。なので、親心からそう言ってくれたのでしょう。

その一方、「ヨーロッパキリスト者の集い」*2で会った同じ世代の人たちから、たいへんな刺激も受けていました。彼らは、「日本に帰るということだけが、唯一の選択ではない」「世界人として生きればいい」「日本人が海外で活かされる場がある」といった、かなりグローバルな感覚を持っていたのです。

 

就職活動

さて、求人はクリスチャン新聞、Vårt Landの求人欄から始まりました。毎週金曜に教会職員の求人が出ていたのです。最初に受けたのはオスロのある教会。面接までは行きましたが、やはり資格だけあっても、経験のなかった私はぺけでした。そして、ディアコーンの求人もかなり限られていたのです。もう、こうなったらノルウェー全国で就活するしかない、と出ている求人には手当たり次第応募し、しかも自分でも金曜の新聞に「日本人ディアコーン・カンディダート 職求む」と、いった広告も出しました。

この広告の後、カルモイの教会から電話が来ました。「うちの求人に是非応募しませんか」と。この電話のころ、別の応募してあった教会からもなんと、「書類審査であなたに採用が決まりました。」と返事が来たのです。面接もなしで、予想外です。この地域では面接なしで採用決定するのが普通らしく、私以外に求職者は居なかったとのこと。ところが、そこは、北ノルウェー、ロフォーテン諸島にある教会。行って皆さんにお会いして、どんな場所か確かめたい、と申し出ました。すべての事業主がそうではありませんが、たまに面接のための旅費などをカバーしてくれるところがあります。そのロフォーテンの教会も、「あなたが、こちらのオファーにOKした場合、旅費を出します」と言ってくれました。

一番安い手段を使い、トロンハイム経由でライネ、Regneに向かいました。ただ、Bodøからの船旅がとてもきつく、究極に船酔いして、大変なことになっていたのです。そんなこともあり、あちらでは「未来のうちのディアコーン」という感じで大歓迎していただいたのですが、気持ちは消沈。すこし考える時間をいただいて帰りました。

 

大・大・大失態

さて、そうこうしているうちに、カルモイからも面接の招待が来ました。こちらは、ロガランドという県にありますが、この地方には 東北ご出身のMご一家が住んでいます。このご一家とはオスロのMさんを通じて知り合ったのですが、日本に帰らなかった年末年始の休みに数回 よらせていただいたりして、大変お世話になっていたご家族です。しかも、奥さんがまるで実家に帰ってきたような味の日本食(北海道出身ですが、ルーツは福島・秋田・新潟です)を作ってくださることもあり、本当にMご一家での滞在は、心の芯から癒された時間でした。カルモイへの面接も、Mご一家のお宅に数日泊まらせていただきながらでした。

さて、面接当日。ロガランドはかなり方言が強いことで知られている地域でもありますが、面接場所への行き方の指示をすっかり聞き違え、所定のフェリーに乗れず、ほとんど半日遅れで到着するという あってはならない大失態をしてしまったのです。先方は、面接に呼ばれていた全員を半日観光にご招待してくださっていたのですが、私が着いた午後には他の皆さんは観光も面接も終わり、帰ってしまわれていたのです。半分半べそ状態の私だったのですが、みなさんになぐさめられて、やっと面接終了…。当時ディアコーンだったOさんともいろいろお話しをさせてもらい、なんとも申し訳ないやら、恥ずかしいやら、もうおそらく皆さんとは2度とお会いすることはないと思い、深々とお礼をしてMご一家のお宅に戻ったのでした。

ノルウェーの面接では通常「Referanse」といって求職者の働きぶりやどんな人物かを問い合わせる人物の提示を求められます。この時、行っていた教会の牧師先生にこの役目をお願いしてありました。

次の日、誰も予想していなかった驚きの事態が発生しました。時間はまだ午前10時台。カルモイからの電話で私に採用決定したというお知らせが来たのです。今でも思い出すと、ちょっと震えてしまう感じですが、「こんなことってある?」と、しばらく放心状態でした…。昨日の失態と言い…。ただ、Referanseの牧師先生がかなり私のことをポジティヴに話してくれ、しかも事務所長と共通の知り合いがいた、ということも功を奏したのでしょうか。(世間は狭し…。ノルウェーだからですかね?)

 

難しい選択

私の個人的、クリスチャン的な思いは、「神様に導かれたところで働かせてもらいたい」でした。どこが、神様の「みこころ」(クリスチャン用語で神様のお考えという意味)なのか???客観的にみると、他に応募者が居なかった(かわいそうな)北ノルウェーのライネなのではないか、と思うのですが、そこを選ぶことが本当に正しいか確信がなかったので、悩みました。当時の学校の先生に相談の結果、「その二か所の中で自分が行きたいところはどこか?」という質問に、かっこつけずに ありのままの自分の正直な答えは カルモイでした。(後日談ですが、お断りしたロフォーテンではお会いした事務所長の方がディアコーンの教育を後に進んで受けられ、ご自分が就任された、というのを聞き、私が断って良かった、と思ったのでした。その方の方が適材適所だったと思います。)

次の大きな課題はまたしても ビザ。先方にも労働許可が要るということは正直に話していて、許可が出るまでの間、「ボランティア」として教会に関りたいというのを申し出ました。でも、どのくらい時間がかかるかも全く分からない状態でよく採用してくれたと、また不思議な感覚です。

冒頭にも書きましたが、私が狙っていたのは労働許可の中でも「トレイニ―ビザ」。最長2年で降りる許可です。これまでもUDIに「許可は出しません」などと言われてきただけに、しっかりしたアピールが申請書で必要でした。

 

オスロにさようなら

8月。2年間住んでいたDiakonhjemmetの学生寮も引き上げの手続きをし、荷物をまとめます。引っ越しのトラックはカルモイの方が頼んでくれ、住居もあちらに見つけていただきました。さて、あとは私が引っ越すだけです。当時していた夏のバイトはマルチ・ハンディキャップを抱えるユースのケアだったのですが、そこも7月いっぱいで終わり。ビザがないと就労できないので、次にいつ収入があるか、わかりません。数人の友人に見送ってもらい、5年間住んだオスロを離れます。カルモイでは誰も知り合いも居ませんでしたが、Mご一家が同じ県にいると思うと勇気づけられました。

 

カルモイ

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私が働くこととなった二つの教会はカルモイの南部にありました。大体一年目に住んだボーくらいの、4000人規模の町に住むことになりました。見つけていただいていた住居には私の引っ越し荷物が運ばれていました。ところが、ここは町から2キロ離れた「ひっそり」と立つ一軒家(の2階)。すぐそばに入江があって、教会も近くです。とっても素敵な場所なのですが、9月ころになると外は真っ暗になり、鳥や動物(羊)の声が響き渡ります。実は、私、暗いところがちょっと苦手なのです。うちにもびくびくしながら帰り、うちの中でも外が真っ暗なので落ち着きません。いろいろ悩んだ末、同僚に話してみると、街の方にアパートが一件空いているという情報をゲットしてくれ、彼がいろいろ大家さんなどに話を付けてくれ、「是非、引っ越してきてくださいよ」ということになりました。この時、収入もいつ入るかわからない私に、デポジット(敷金)なしで貸してくれるとは…。しかも、収入が入るまで割引もしてくれるという、なんて良い方々なんでしょう!

オスロは小さくても首都ですので、いろいろな人が集まっています。一方、カルモイはほとんどが地元の方々。当然ですが、文化・伝統にも誇りをもたれ、この辺ではオスロのある「東ノルウェー」とはかなり違い、なぜかここでカルチャーショックがたくさんありました。これについては次回ブログで紹介したいと思います。

さて、私の教会の奉仕がボランティアの形で始まりました。ボランティアの一つのいい点は、自分の好きな時間で働けるということ。でも、とりあえず職場にスムーズになれるように、スタッフの会議、役員会会議、各委員会の会議などには参加。重要なのは皆さんと知り合い、皆さんにも私がどんな人かを知ってもらう、ということです。信頼関係が成り立たないとできない仕事です。「日本人」ということで、教会報などにもバックグランドについてインタビューを受けたりしました。小さい町なので、教会にはあまり来ない方も私が誰か、というのは大体わかっていたでしょう。

この時期、教会の裏手にも難民キャンプがあり、そこにもボランティアとして訪問の活動をお手伝いしていました。それから、街にあるボランティアセンター(Frivillighetssentralen)にも顔を出しては、所長さんにいろいろな方に紹介していただきました。ここは、昼間はカフェ、夜はスペイン語教室やダンス教室と様々な活動があり、暇だった私にはありがたい場所となりました。

どんな場所かは、Visit-Kamøyでご参照ください。 

www.google.no

 

就労ビザ

さて、9月の国政選挙で「保守党」(Høyre)が躍進し、政権をとりました。保守党が訴えた政策の一つが、人手不足の解消。実はこの時期、スキルド・ワーカーが足りない事態だったのです。なので、これまで学生ビザで、ノルウェーで学んでノルウェ語をマスターしている外国人に就労ビザのチャンスを与えようと積極的に動いていたのです。実際、10月ころには先述の「5年間の国外待機の規定」を、スキルド・ワーカーと認定される人に限り除外するという新しい法律ができました。

暇があれば図書館などでUDI関係をチェックしていた私ですが、このニュースを見て早速 当時ヘルプしていただいていた団体、SEIF*3 に確認を取ると、「私にも適用されると思う」との答え。なんてタイミングでしょうか!そこで、UDIに一筆書き、SEIF経由で送りました。

そして…10月末。待ちに待った就労ビザが下りました!(2か月半くらいの審査機関はかなり短いと言えます。)しかも…いただいたのは、「トレイニ―」ではなく、「スキルド・ワーカー」のビザでした。このビザは毎年更新できて、3年後に永住許可を申請できるビザです。カルモイにある警察署がUDIの窓口になっていますが、こちらは皆さんニコニコ親切。許可が下りてよかった、ウェルカムと言ってもらっているような感じです。さすがに、涙がでました。

と、同時に本格的にいよいよディアコーンとしての働きがスタートです。

 

次回の後編では、仕事ではどんなことをしていたのか、様々なチャレンジ、外人であることのハンデやカルモイでの生活などなど… を、ご紹介したいと思います。

世界中で第2波が来ているコロナの状況、ワクチンの開発など 祈りつつ。長文、お読みいただきありがとうございました。

 

*1:ノルウェー人、またはヨーロッパ経済機構内の国籍の求職者が居なく、それ以外の国籍の人を雇う理由がある場合。雇い主より書面で証明してもらい、許可される就労ビザ。ただし、その分野の高等教育を受けて特殊資格・技能を持つものに限る。

*2:ヨーロッパの国々にある日本語教会やフェローシップが有志で開いている年一回の集会。興味のある方はこちら:https://www.europetsudoi.net/

*3:Selvhjelp for innvandrere og flyktninger