ハンブルネスのひとりごと

ノルウェー在住のシステミックカウンセラーのブログです

"Mine 25 år i Norge" ノルウェー生活25年を振りかえって、その0.留学準備期間 

みなさん、こんにちは。お元気でしょうか?

この国にやってきてから8月でなんと丸25年になります。四半世紀・・・そして日本よりもこちらの生活の方がちょっとだけ長くなりました。たびたび、「これから留学したいのですが」とか「ノルウェーで就職したいのですが」という方々からご連絡をいただいていて、私の経験も「賞味期限切れ」になっている気もしている今日この頃。ただ、もしかすると海外でサバイバルしてきた基本的な経験は「ひとつの体験談」として何かしらの参考にしていただけるのではないか、と思い始めております。それと、正直なところこのブログに残すのも自分にとっても面白いかもしれません。そこでこの夏は「ノルウェー生活・満25周年記念」ということでシリーズにしてみたいと思っています。第一回目の今日は、「その0.留学準備期間」です。

 

某商社でのOL時代

以前のブログでも書きましたが、うちは母子家庭。高校を卒業してから四年制大学には進まず、都内の某英語ビジネス系専門学校に進みました。それは2年後に就職でき、高卒よりも職種が選べたからです。就職先は某中小企業で、一応「商社」でした。私の就職活動期はいわゆる「就職氷河期」の2年ほど前だったので、選べる時代だったのです。大きな会社だと多数に埋もれてしまう、という生意気な発想から、あえて職員100人代の会社へ。でも社会人になってみると自分の甘さが身に染みて感じられました。お給料もそれなりだったので、本当は家を出て自活したかったのですが、それをせずに実家にお金を入れることを選びました。それで、数年貯金を十分に貯めたら家を出る、という手はずだったのです…。

私のOL時代は本当に地味で、仕事が終わったら即帰宅して 週末もわりとマイペースにごろごろおりました。実は通勤や社会人として適応するのにかなり疲れていたのです。体調不良なども起こりましたが、感謝にも回復しました。ただ、この疲れる毎日…なんだかこれで私の一生は終わってしまうんだろうか…、とこの先の人生を考えるようになりました。ですが、働いている以上経験にしたい、と思い、真面目に一生懸命やっていたと思います。それから2年の月日が経ち、仕事も徐々に覚えたころ… 事件発生です。

 

社長の鶴の一声

1994年… 2月にはノルウェーで冬季・リレハンメルオリンピックが開かれようとしていました。もともとポップグループ、A-haが好きで、いつかきっとノルウェーの地を踏むと心に決めていた私は、このオリンピックがチャンスと前々から準備。有給休暇とお金をセーブして、直属の上司からは2週間ほどの休暇のOKが出たのです!ところが、直前になり社長から「休暇が長すぎる」とクレームが付きました。この時は組合の方にも相談したのですが、社長は直属の上司たちの首を切ると言い出し、やむを得ず彼が納得する長さの休暇に変更せざるを得ませんでした。北ノルウェーでオーロラを見る計画もキャンセルです。この時の経験が、日本の社会、労働者に対する権利のなさに嫌気がさした出来事でした。そして、泣く泣くカットされた日程だったから「今度は誰にも邪魔されずに行きたい」という強い意志が芽生えたのかも知れません。

 

初めてのノルウェー

さて、私の「初ノルウェー」体験はどうだったかというと… 暗い・寒い・コミュニケーションが取れない、とあまりポジティヴなものではなかったのです。もともとオリンピックのチケットは買わずにオリンピックに沸くノルウェーの雰囲気を楽しもうと思っていただけなので、お宿もオスロユースホステルにとって リレハンメルまでは通う手はずでした…。が、予想外に距離が長い!往復4時間の距離です。しかも今のようにスマホもなく、ネットも普及していない時代ですから、いきなり変わる列車の時間やらなにやらも訳もわからず。気温も連日マイナス15度以下…「こんな寒さ経験したことないよお」状態でした。その中で地図もなく場所を探して歩いたり…。そして愛国ムードがかなり高まっていたせいか、ノルウェー人はノルウェー人でつるんでいて、取りつく島があり話ができたのは同じ外国人。

普通なら、こんな経験の後「ノルウェー好きだけど、あまり楽しいところではないかも」と思い、また行こうとは思わないかも知れませんね。ただ、私の場合は逆に「いつかリベンジするぞー」精神がめらめらと燃え、次のフォーカスをノルウェー語を学ぶことに移しました。そうです、次に行く時にはノルウェー語でコミュニケーションしてやろうと思ったのです。

 

「リベンジ」から留学のチャンスへ

さて、日本に帰ってからは普段の毎日が戻りました。ただ、新たな目標があります。初めにしたのは、都内にあるノルウェー語を教えてくれる教室への体験入学。ところが、そこの(日本人)講師が「まったく君たちは言葉を習う動機が不純なんだよね」と、言うのに憤慨してパス。他の生徒さんたちはそれぞれ、スキーのオーモット選手やスピードスケートのコス選手に憧れて、というので来ていました。わたしにしたら、動機なんてなんだっていいじゃん、余計なお世話だと思ったわけです。ここを諦め、次にしたのが、ノルウェー大使館へ電話。ノルウェー語の先生を紹介してくれませんかといきなり聞いたのですが、親切に一人紹介してもらえました。日本に留学中のノルウェー人でバイトでノルウェー語を教えていた、HJさん。この先生が私にとって最初に知り合ったノルウェー人となりました。

週一回の個人レッスンも数か月経って、1994年の年末。先生が「マイ・ユニさんは来年なにしたいですか?」と聞いてきました。私は半分ちょっと希望的観測で、「いやあ、来年こそは会社を辞めてノルウェーに留学したいです。」すると、HJ先生、「そうなの、それじゃー、資料請求してみよっか!」と、むちゃくちゃ乗り気になり、地方短大で学生ビザが取れるノルウェー語のコース *1 2校の申請を手伝ってくれました。この2校ともTOEFLなどの書類は必要なく、なんと英語の作文とこれまで行った高校以上の学校の卒業・成績証明のみで審査され、両方から受け入れの通知が届きました。

そして、学生ビザもすぐに申請。このころはFAXでやり取りしてましたね。懐かしい!ノルウェー外国人管理局、UDIからも1年の学生ヴィザをもらえたのが1995年春ころ。会社に早速辞表を出し、同僚や先輩に見送ってもらい 8月にはノルウェーに向け出発!!

 

 

このころの事を振り返ると、まあインターネットがない時代によくやっていた、と思います。何かを調べるっていっても、例えば「スカンジナビア政府観光局」のようなところから資料請求を郵送で、とか FAXで、とか…。本当に今は便利な時代になりましたね。でも、情報がありすぎて逆に読み取るのも難しいかもしれません。

 

さて、この続きは次の回「その1.貧乏留学生時代」で綴りたいと思います。ここまでお読みいただき、ありがとうございました! 皆さん、引き続きご自愛ください。

 

 

*1:今このコースは、純語学コースというカテゴリーになり、ビザを取れる対象ではなくなったそうです。残念!